満功(読み)まんこう

改訂新版 世界大百科事典 「満功」の意味・わかりやすい解説

満功 (まんこう)

曾我兄弟の母の名。または東京都調布市の深大(じんだい)寺など,各地の霊山開基の僧の名。マンコウは満行(江,紅),万劫(公)などとも書く。1724年(享保9)市村座初演《嫁入伊豆日記》以後歌舞伎や,また各地に伝わる伝説でも曾我兄弟の母をマンコウとするものが多い。しかし,《曾我物語》には母の名は記されていない。《東奥軍記》《和賀一揆(わがいつき)次第》(ともに江戸初期の成立か)などに伊東入道祐親の娘の名を〈まんこう御前〉とする。まんこう御前は伊豆配流中の源頼朝と契って若君を生む。平家をはばかった入道は若君を殺すよう家臣に命ずるが,家臣のはからいでひそかに助けおかれて,後に和賀の領主先祖となったとされる。この逸話は《曾我物語》にもあるが,娘の名は記さず,若君も殺されたことになっている。これらの逸話からいえることは,マンコウという名前が,愛児を失って悲しむ母の話,あるいはその異話に用いられていることである。佐々木喜善(きぜん)の《聴耳草紙》に採録されている長須田(ながすだ)マンコの話では,生まれたばかりの赤子を鷲(わし)にさらわれ,13年後に地獄山で愛児と再会する母の名前がマンコである。マンコは後に愛児が修行する寺の近くの地獄山に庵を建てて住み,巫女となって毎日念仏を唱えたとされる。地獄山には今日でもマンコ屋敷跡があって,あたりには賽(さい)の河原のように小石を積んだ小さな塔がたくさんある。そこは愛児を失った母たちの詣でる所とされ,松の木に耳をあてると地獄で子どもの泣く声が聞こえるといわれる。この話は昔話化されているものの,マンコが子どもの霊の口寄せをする巫女の名前であったことを伝えるものと推測される。子どもの霊の口寄せを業とする巫女が,遊行巫女や廻国の比丘尼となって,愛児を失った悲しみを自分の体験として語っていたものと考えられ,いつしかマンコウという巫女の名が物語の登場人物の名ともなったと思われる。さらに愛児を失った悲しみばかりではなく,悲惨な女性の物語を自分の体験として語るようになったのであろう。《曾我物語》には,伊東入道の娘に,頼朝と契った女性とは別に,もう一人の万劫が登場する。万劫は工藤祐経の妻となるが,父入道のために無理に離縁させられ,後に改めて土肥遠平に嫁がせられる。《曾我物語》には悲惨な女の物語が幾重にも織りなされているが,それらはマンコウなどと自称する遊行巫女や廻国の比丘尼が曾我兄弟の母とか伊東入道の娘と称し,自分の体験として兄弟や頼朝の若君の物語を語り伝え,一部が《曾我物語》に取り入れられてアレンジされ,他の一部はさらに口頭で語り継がれて《東奥軍記》などに流れ込み,歌舞伎でも曾我兄弟の母の名前としてマンコウが採用されたものと考えられている。

 諸国の霊山の開基の僧の名前に多いマンコウにも,巫女との関係が見え隠れしている。深大寺開山にまつわる伝説では,満功上人祖母の名として虎という女性があらわれる。曾我十郎の愛人の大磯の虎(虎御前)や吉野山や立山の都藍尼(とらんに)の伝説を考え合わせると,この虎も巫女的な女性ではなかったかと思われる。すなわち,満功上人と虎との間には高僧・神童とその母,神とその育ての母の巫女といった関係があったものと思われる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の満功の言及

【深大寺】より

…山号は浮岳山。寺伝によれば,733年(天平5)満功上人の開基とされる。満功は福満童子が水神深沙大王(深沙大将)に助けられ,武蔵柏野の里の長者の家に入婿して生まれた子で,後に法相宗の奥旨を極めたと伝える。…

※「満功」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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