湖北(省)(読み)こほく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湖北(省)」の意味・わかりやすい解説

湖北(省)
こほく / フーペイ

中国、華中(かちゅう/ホワチョン)地区北部の省。長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン))中流部にあり、洞庭湖(どうていこ/トンティンフー)以北ということで湖北とよばれる。また東部は古くは鄂州(がくしゅう/オーチョウ)に属していたため、鄂を略称とする。面積18万5900平方キロメートル、人口5935万9897(2000)。12地区級市、1自治州、24県級市、39県、2自治県と神農架(しんのうか/シェンノンチヤ)林区からなる。漢民族のほか、トウチャ族、ホイ族、満洲族、ミャオ族、モンゴル族などが居住する。省都は武漢(ぶかん/ウーハン)市。春秋戦国時代は楚(そ)国の地で、国都も江陵(こうりょう/チヤンリン)付近にあった。秦(しん)は南郡を置き、漢代は荊州(けいしゅう)に属した。唐代は江南西道、淮南(わいなん)道、山南東道および黔中(けんちゅう)道に分属し、宋(そう)代にも荊湖(けいこ)北路、京西南路、淮南西路、夔州(きしゅう)路に分かれていたが、元代は湖広(ここう)行中書省、明(みん)代は湖広布政使司に属し、清(しん)代以後湖北省が置かれた。

 西部には巴山(はざん)、巫山(ふざん)、武当山などからなる鄂西(がくせい)山地が横たわり、北部には大洪(だいこう)、桐柏(とうはく/トンパイ)、大別(だいべつ/ターピエ)などの山脈が走り、南東に幕阜(ばくふ/ムーフー)山脈が江西(こうせい/チヤンシー)省との省境をなす。これらの山に囲まれて、中部に長江と漢水(かんすいハンショイ)の沖積作用によって形成された江漢(こうかん)平原がある。もとは平原中央には雲夢沢(うんぼうたく)とよばれる広大な沼沢があったとされるが、いまも南の洞庭湖のほか無数の沼沢や窪地(くぼち)があり、人工水路が網の目のように走る水郷を形成する。

 気候は夏がとくに暑い大陸性気候で、年降水量は800~1600ミリメートルである。解放前は江漢平原はしばしば大水害にみまわれた。解放後は荊江(けいこう)分洪区、杜家台(とかだい)分洪区がつくられて、増水期の流量を調節できるようになった。さらに堤防の整備や河道の付け替えも行われ、漢水上流部に丹江口(たんこうこう/タンチヤンコウ)ダムが完成、長江本流にも宜昌(ぎしょう/イーチャン)付近に葛洲壩(かっしゅうは)ダムが完成、三峡(さんきょう/サンシヤ)ダムも2009年に完成した。

 農産物は米、小麦、トウモロコシ、サツマイモ、大豆、綿花、苧麻(ちょま)、ゴマのほか、丘陵や山地では茶、桐油(とうゆ)、ウルシコルクガシ、柑橘(かんきつ)類などを産する。鄂西山地には広大な天然林があり、江漢平原の沼沢では淡水魚の生産量も多い。地下資源には黄石(こうせき/ホワンシー)市の大冶(だいや/ターイエ)鉄山のほか、銅、燐(りん)、岩塩、石膏(せっこう)、石炭などもある。また江漢油田が開発され、河南(かなん/ホーナン)省の南陽(なんよう/ナンヤン)油田の石油とともに荊門で製油している。解放前は紡織、食品加工が工業の主力で、清朝末期以来の製銅業も解放前夜には破壊されていた。解放後、工業建設は急速に発展し、武漢鋼鉄公司(コンス)の建設のほか、機械、化学、紡織、セメントなどの工場が立地し、十堰(じゅうえん/シーイエン)には中国第二自動車工場も完成した。また古くから水陸交通の要衝であったが、現在も京広(けいこう)、枝柳(しりゅう)、焦枝(しょうし)、京九の諸鉄道が南北に走り、漢丹(かんたん)、襄渝(じょうゆ)の両線により陝西(せんせい/シャンシー)省、四川(しせん/スーチョワン)省と武火鉄道により大冶、九江(きゅうこう/チウチヤン)とも連絡している。水運路としては長江、漢水の利用度が高く、夏の増水期には1万トン級の汽船が武漢までさかのぼる。

[河野通博]

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