湊領(読み)みなとりよう

日本歴史地名大系 「湊領」の解説

湊領
みなとりよう

[現在地名]和歌山市湊・湊一―五丁目・築港ちつこう一―五丁目・湊御殿みなとごてん一―三丁目・土佐とさ町一―三丁目・舟津ふなつ町一―三丁目・砂山南すなやまみなみ一―四丁目・あおい町・今福いまふく一丁目・同四―五丁目

海部あま郡に属し、西浜にしはま村の北に位置する。紀ノ川河口の海に面する北・南岸地域を村域とし、小名に外浜そとはま御膳松ごぜんまつ(北岸)中洲なかす(海口の洲)鼠島ねずみじま青岸あおぎし(南岸)がある。紀ノ川南岸の村域をふる(現水軒川)が北から南に貫流する。紀ノ川河口がほぼ固定した以降の紀伊湊きのみなとの所在地であったが、中世後期に湊に付属して町場化していた主要地域は、大部分和歌山城下経営に際して城下に組入れられ、南岸東北部の城下町続きの八屋敷はちやしき砂山すなやまなどのみが湊領に属した(続風土記)

古代から中世にかけての紀伊湊は「宇治関白高野山御参詣記」永承三年(一〇四八)一〇月一八日条、建久七年(一一九六)三月日付の高野山住僧等言上書(宝簡集)などにみえるが、近世の湊領と同地域であったかどうかは紀ノ川の流路の変動から考えると疑わしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報