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俳優。東京都生まれ。本名田所康雄。巣鴨中学(旧制)卒業後、数々の大衆演劇劇団を経て、1953年(昭和28)浅草のフランス座に入る。浅草軽演劇の黄金時代に、コメディアンの才を磨く。1954年肺結核で片肺を切除したが、3年後に復帰。1959年にテレビに進出。1962年フジテレビ『大番』の主役でお茶の間の人気を博す。1963年の松竹映画『拝啓天皇陛下様』が映画俳優としての出世作で、無知でひたむきな愛すべき庶民像を生き生きと演じた。1968年フジテレビの連続ドラマ『男(おとこ)はつらいよ』(山田洋次脚本)に主演、翌1969年に映画化され国民的人気俳優となった。映画『男はつらいよ』は1996年(平成8)の正月公開作品まで全48作というギネスブックにも登録される世界にも類のない長寿シリーズとなった。全国を渡り歩く主人公「フーテンの寅(とら)=車寅次郎」は、自身が少年時代に見かけたテキ屋の思い出をもとに山田洋次監督が作り出したキャラクターで、渥美清の代名詞ともなった。1969年キネマ旬報主演男優賞、毎日映画コンクール男優主演賞、1982年ブルーリボン賞主演男優賞ほか数々の賞を受賞。1988年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章。死後、国民栄誉賞が贈られた。平成8年8月4日没。
[編集部]
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…《寅さん》シリーズとも呼ぶ。1969年の第1作以来,監督は山田洋次,主演は渥美清。シリーズとして世界最長記録である。…
… しかし一方,戦後,軽演劇にとってかわった形で庶民の娯楽として全盛をきわめたストリップショーのコントの中から,あらたな軽演劇の人材が育った。たとえば,一時期の浅草フランス座には,戦前からのベテランの佐山俊二のほか,渥美清(1928‐96),関敬六,谷幹一,南利明,八波むと志,作家の井上ひさし(1934‐ )といった,若い才能が集まっていた。また由利徹は〈ムーラン・ルージュ〉解散後は新宿セントラルなどに出演していたし,三波伸介(1930‐82),戸塚睦夫は新宿フランス座の出身である。…
…1629年(寛永6)に創建された日蓮宗の題経(だいきよう)寺(柴又帝釈天)は庚申待ちの信仰と結びついて,江戸時代後期から参詣者がふえ,1913年京成金町線の開通により,柴又はその門前町としてにぎわうようになった。最近は,渥美清の演ずる映画〈男はつらいよ〉シリーズの舞台として知られている。また,江戸川を横切って松戸に渡る矢切の渡(やぎりのわたし)も残る。…
※「渥美清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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