渡辺鉄蔵(読み)わたなべてつぞう

世界大百科事典(旧版)内の渡辺鉄蔵の言及

【経営学】より

…70年代における共同決定制の導入を契機に労働組合側から提起されたこれまでの経営経済学を資本中心の展開とした批判,それに対する労働志向個別経済学の提起は,新規範主義と区別されるものの,経済体制そのものへの変革さえ企図して企業のあるべき姿を求めて展開されたものである。 ドイツ経営学の日本への導入は,この分野の科学性を問う状況を反映して1910年代にはすでに商事経営論,私経済学として上田貞次郎,渡辺鉄蔵によって紹介された。《商事経営論》(1922)は後者によるその成果であり,その後大正末期から昭和初頭にかけて増地庸治郎,佐々木吉郎,平井泰太郎,馬場敬治,池内信行らによって日本における経営学,経営経済学の研究が進められた。…

【経営・経営管理】より

…そして多くの研究は,ドイツの経営経済学における形式的方法論の吟味を主調として受けつぎ,企業―経営体―経営―管理の具体的内容をもった分析は,必ずしも進まなかった。こういったなかで渡辺鉄蔵(《工場経営論》1926)や馬場敬治(《産業経営の職能とその分化》1926)が科学的管理論やアメリカの管理論の研究をいち早く消化し,経営学に具体的内容をもりこむことに努力したことは見逃せない。とくに馬場は《産業経営理論》(1927)において,交換関係を対象とする国民経済学に対し経営内分業関係,換言すれば統一的支配のもとにある組織を分析対象とすることを主張し,さらにこの支配関係を形成し維持する活動としてmanagementを構想した。…

※「渡辺鉄蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」