世界大百科事典(旧版)内の渡辺清の言及
【田中訥言】より
…師の没後は嗣子光孚(みつざね)の後見役を果たし,名古屋を中心に活躍した。色彩に関する古典研究《色のちくさ》(1818)を著し,その門から浮田一蕙,渡辺清(1778‐1861)らが出た。眼病に苦しみ,失明を苦に自殺したとも伝えられる。…
【復古大和絵派】より
…江戸後期から幕末に活躍した田中訥言(とつげん)とその門人浮田一蕙,渡辺清(1778‐1861),訥言に私淑した岡田為恭(ためちか)らの画家を指していう。大和絵の原典に接してその模写を精力的に行い,土佐派,住吉派ら既存の大和絵流派にとらわれず,源流をさかのぼって古典に規範を求め,活力ある大和絵の創造を試みたことに特色がある。…
※「渡辺清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」