渡瀬庄三郎(読み)わたせしょうざぶろう

精選版 日本国語大辞典 「渡瀬庄三郎」の意味・読み・例文・類語

わたせ‐しょうざぶろう【渡瀬庄三郎】

動物学者。東京出身。東京帝国大学教授。応用動物学に尽力し、動物の地理的分布を調査した。文久二~昭和四年(一八六二‐一九二九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「渡瀬庄三郎」の意味・わかりやすい解説

渡瀬庄三郎
わたせしょうざぶろう
(1862―1929)

動物学者。江戸に生まれ、東京英語学校、東京大学予備門を経て1880年(明治13)札幌農学校入学、1884年の卒業後は東京大学動物学科撰科(せんか)生となる。1886年、ジョンズ・ホプキンズ大学留学し、1890年に博士号を取得。以後クラーク大学講師、シカゴ大学教授として細胞学、比較組織学を研究した。1899年帰国して東京帝国大学動物学科講師、1901年同教授となって1924年(大正13)まで務め、発光動物ホタルホタルイカ)を研究するとともに、生態学動物地理学にも関心を示し、渡瀬線屋久島(やくしま)・種子島(たねがしま)と奄美(あまみ)大島間の生物分布境界線)を発見した。また、史跡名勝天然記念物調査会委員として固有動物の保護に努める一方、ハブ除去のためのマングース移入(1910)、食用ガエル移植(1918)、キツネ養殖の指導、捕鯨法の歴史学的研究など、応用動物学方面でも活躍した。

[磯野直秀]

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改訂新版 世界大百科事典 「渡瀬庄三郎」の意味・わかりやすい解説

渡瀬庄三郎 (わたせしょうざぶろう)
生没年:1862-1929(文久2-昭和4)

動物学者。江戸の生れ。東京英語学校卒業後,1880年札幌農学校に入学,84年卒業とともに東京大学動物学科選科に入学,86年7月修了。その年アメリカに渡り,ジョンズ・ホプキンズ大学へ留学,学位を取得。その後クラーク大学講師,シカゴ大学客員教授を歴任。98年帰国とともに東京大学動物学科の講師に迎えられ,翌年教授となる。研究分野は,ドイツ,キール大学留学中にW.フレミングから指導を受けた細胞学,屋久島,種子島と奄美大島間の動物分布の違いを発見(渡瀬線とよばれる)した動物地理学など多方面にわたっている。また,植物学者三好学の〈天然記念物〉の考えに賛同し,日本の動物保護指定事業に協力(山口県向島のタヌキなど)。さらにハブ退治のためインドからマングースを沖縄へ移植するなど応用動物学の分野でも貢献した。
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百科事典マイペディア 「渡瀬庄三郎」の意味・わかりやすい解説

渡瀬庄三郎【わたせしょうざぶろう】

動物学者。江戸に生まれ,札幌農学校卒業。渡米してジョンズ・ホプキンズ大学に学び,シカゴ大学教授となる。帰国後東大教授として,細胞学・組織学を講義。頭足類の発生,生物発光などの研究のほか沖縄へのマングース移入,シロアリの調査,養狐業の指導など応用面にも尽力。屋久島,種子島と奄美大島との動物分布の違いを発見し,渡瀬線と呼ばれる動物地理上の境界線を提唱した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡瀬庄三郎」の解説

渡瀬庄三郎 わたせ-しょうざぶろう

1862-1929 明治-昭和時代前期の動物学者。
文久2年11月11日生まれ。アメリカ,ドイツに留学。明治34年東京帝大教授。渡瀬線(屋久島・種子島(たねがしま)と奄美(あまみ)大島間の生物分布境界線)を発見し,天然記念物の保護,ハブ退治のためのマングース移入などにも功績をのこす。昭和4年3月8日死去。68歳。江戸出身。札幌農学校卒。

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