渡嘉敷村(読み)とかしきそん

日本歴史地名大系 「渡嘉敷村」の解説

渡嘉敷村
とかしきそん

面積:一九・一八平方キロ

那覇市の西三二キロに位置する慶良間諸島最大の渡嘉敷とかしき島を中心に、儀志布じしつぷ島・くる島・めー島・慶伊ちー干瀬(神山島・ナガンヌ島・クエフ島)など大小一〇余の無人島からなる。沖縄島からみて手前にあたることから前慶良間めーぎらまともいわれる。那覇港とまり埠頭から渡嘉敷村営フェリーで七〇分、高速艇では三五分で東岸の渡嘉敷港に到着する。同所と南の阿波連あはれん地区を結ぶ県道渡嘉敷港線が通る。村域は沖縄海岸国定公園のうちで、渡嘉敷海中公園などがある。渡嘉敷島最南端の船越原ふなこしばる遺跡や、その北西の阿波連浦あはれんうら貝塚など貝塚時代の遺跡があり、阿波連にはグスク時代の遺跡がみられる。近世は慶良間島渡嘉敷とうかしち間切として渡嘉敷村・小嶺くんみ村・阿波連あはり村を擁し、座間味じやまん間切とともに久米方に属した。沖縄島に近く貢船・冊封船の風待ち港として利用され、また各村とも多くの船乗りを輩出してきた。明治一二年(一八七九)廃藩置県に伴い沖縄県の管轄となる。一八八〇年から統計記録上では前慶良間島(前村)渡嘉敷間切に属する。九六年沖縄県郡区制施行により成立した島尻郡に所属。一九〇三年小嶺村が渡嘉敷村に統合。〇八年の沖縄県及島嶼町村制により渡嘉敷村が成立。

渡嘉敷村
とうかしちむら

[現在地名]渡嘉敷村渡嘉敷とかしき

渡嘉敷とかしき島の北部を占める。北部の赤間あかんま(二二七・三メートル)のほか、二〇〇メートル余の山が一一を数え(渡嘉敷村史)、急な斜面が海岸部に迫る。北に儀志布じしつぷ島が浮ぶ。東岸の入江に臨むわずかな低地集落があり、入江の東の海にぐすく(円錐状の岩山)がたたずむ。方音ではトゥカシチ。渡嘉敷とうかしち間切の行政の中心地。地内の山々は聖地や御嶽として信仰の対象となり、「琉球国由来記」では祭祀は西にし御嶽(神名ヨラブサ)黒島くるしま御嶽(神名オリキヤサ)宜志保じしぷ御嶽(神名カヤウサヨキゲライ)、ミサキ御嶽(神名ヨキゲライ)安禰宜城あねきぐすく御嶽(神名国カサ)、志良志御嶽(神名シケカケ)、サメガ御嶽(神名国ラヒ)、「仲御嶽 二御前神名 一御前 ワライキヨ 一御前 ヨキゲライ」、ミツ御嶽(神名国ラヒ)、「前御嶽 二御前 神名 一御前 ウシカケ 一御前 ヨキゲライ」、船蔵御嶽、真川御嶽(神名目眉清良)、上マタ御嶽、「渡嘉敷大ミヤノ神 トノ名 カナヒヤボノトノ」、慶良間きらまミヤノトノが記されるが、かつては隣接する小嶺くんみ村と合せて四〇ヵ所の御嶽・聖地があったという(渡嘉敷村史)

渡嘉敷村
とうかしちむら

[現在地名]豊見城渡嘉敷とかしき

渡橋名とーしな村の東にある。トゥカシチ村とよぶ。絵図郷村帳に豊見城とうみぐすく間切「とかしき村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がなく、「琉球国由来記」に同渡嘉敷村とある。間切集成図は間切番所から南下して保栄茂びん村と翁長うなが村の間を通って兼城かにぐすく間切番所(現糸満市)へと続く宿道を、西の稲嶺んなんみ村と挟むように描いている。当村を領する地頭職に康熙五一年(一七一二)雍氏五世雍国臣渡嘉敷親雲上興成がいる(雍姓目取真家家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渡嘉敷村」の意味・わかりやすい解説

渡嘉敷〔村〕
とかしき

沖縄県,那覇市の西方約 30kmの,慶良間諸島にある村。渡嘉敷島を中心に前島,黒島など前慶良間と呼ばれる 14の島々からなる。唯一有人の渡嘉敷島は赤間山(227m)など 200m前後の丘陵地からなり,農地は階段状で少ない。村内には国立沖縄青少年交流の家,渡嘉敷村青少年旅行村をはじめ,阿波連(あはれん),渡嘉志久などのビーチがあり,ダイビング海水浴を楽しむ人々が多い。慶良間諸島国立公園に属し,慶良間諸島海域公園地区に指定。那覇市との間に船便がある。面積 19.23km2。人口 718(2020)。

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