渋峠(読み)シブトウゲ

デジタル大辞泉 「渋峠」の意味・読み・例文・類語

しぶ‐とうげ〔‐たうげ〕【渋峠】

長野群馬県境にある峠。標高2172メートル。横手山(標高2307メートル)の北側を通り、古くは草津峠と呼ばれて物資交流の要路だった。昭和40年(1965)有料志賀草津道路開通、平成4年(1992)国道292号に組み込まれた。日本の国道の最高地点にある峠。

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日本歴史地名大系 「渋峠」の解説

渋峠
しぶとうげ

上信越国境の横手よこて(二三〇四・九メートル)東南鞍部の標高二一七二メートルにある峠。尾根続きで南は白根しらね(二一三八メートル)。古くは草津くさつ(現草津町)入山いりやま方面と信州を結ぶ最短の交易道として利用されたが、明治二六年(一八九三)の信越線開通、大正一五年(一九二六)草津電気鉄道が草津温泉まで全通し、この峠を越える人馬は絶えてしまった。だが昭和四〇年(一九六五)草津―志賀高原ルート開通、さらに同四五年に長野県下高井しもたかいやまうち町の上林かんばやし温泉から草津までが有料道路として再出発、現在では上信越高原国立公園を縦断するメインルートとして知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渋峠」の意味・わかりやすい解説

渋峠
しぶとうげ

群馬県北西部の中之条町と長野県北東部の山ノ内町との境をなす峠。標高 2172m。6月中旬頃まで雪があり,自動車が通行可能の峠としては国内有数の標高にある。近世は長野から中野(→中野市)を通り草津に通じる草津街道が通過したが,峠に接する「のぞきの谷」付近は横手山の急崖で,ようやく 1人が通れるほどであった。1970年志賀草津道路 (国道292号線) の開通後,草津温泉山ノ内温泉郷を結ぶ北アルプス,戸隠,妙高火山群,上越の山々を眺望する名所となった。横手山頂までリフトがある。付近一帯は上信越高原国立公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「渋峠」の意味・わかりやすい解説

渋峠 (しぶとうげ)

群馬県北西部,吾妻郡中之条町の旧六合(くに)村の西端部と長野県上高井郡高山村の境にある峠。標高2172m。白根山と横手山の間にあって,草津温泉から志賀高原に通じる有料の志賀草津道路(1970開通。92無料開放。冬季閉鎖)がこの峠を越えている。夏のハイキング,冬のスキーなどの好適地で,道路開通期間中は長野電鉄の湯田中駅と吾妻線長野原駅を結ぶバスの便がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「渋峠」の意味・わかりやすい解説

渋峠
しぶとうげ

長野・群馬の県境にある峠。標高2152メートル。国道292号が走る。近世の峠は横手山の北側を通り、草津峠ともよばれた。長野からは米や酒、菜種(なたね)油を草津へ、草津からは硫黄(いおう)、薪炭(しんたん)などの物資を長野へ運んだ。鉄道の開通で衰退したが、昭和30年代から観光開発が進み、新しい道路ができ、横手山頂の南を通る峠となった。1970年(昭和45)長野県志賀高原と群馬県草津温泉を結ぶ区間を含む約41キロメートルが有料道路となり(1992年無料化。国道292号)、舗装された車道としては全国有数の高さを走るが冬季は閉鎖される。峠には横手山頂までのリフトが夏も稼動し、ここからの上越の山並みや北アルプス連峰、眼下の志賀高原や草津の眺望はすばらしい。

[小林寛義]

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