清田たん叟(読み)せいたたんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清田たん叟」の意味・わかりやすい解説

清田たん叟
せいたたんそう

[生]享保4(1719)
[没]天明5(1785).3.23. 京都
江戸時代中期の儒者。名,絢。字,元 琰,のち君錦。通称,文平。別号,孔雀楼など。 30歳の頃から父の旧姓である清田氏を称した。父は福井藩藩儒伊藤龍洲。第3子で,長兄は伊藤錦里,次兄江村北海。生地は明石とも京都ともいう。生来病弱であったが,31歳で福井藩に藩儒として仕えた。普段は京都に住み,当時の京都文化界の中心人物の一人となった。詩もよくしたが,むしろ文章に意を注いだ。また『水滸伝』など中国の俗文学に親しみ,金聖嘆の影響を受けて小説の批評を試みた。『源氏物語』の評などもある。著書に,『孔雀楼筆記』 (1768) ,『孔雀楼文集』 (74) など。

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