清澄寺(読み)セイチョウジ

デジタル大辞泉 「清澄寺」の意味・読み・例文・類語

せいちょう‐じ【清澄寺】

兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の本山。山号は蓬莱山宇多天皇の勅願により寛平5年(893)に創建。開山は増命ぞうみょう益信やくしん清荒神きよしこうじん
千葉県鴨川市にある日蓮宗大本山。山号は千光山。宝亀2年(771)不思議法師の創建と伝える。のち、円仁が再興。天台宗真言宗を経て、昭和24年(1949)日蓮宗となった。日蓮が得度、立教開宗した寺。きよすみでら。

きよずみ‐でら【清澄寺】

せいちょうじ(清澄寺)

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精選版 日本国語大辞典 「清澄寺」の意味・読み・例文・類語

せいちょう‐じ【清澄寺】

[一] 兵庫県宝塚市米谷(まいたに)にある真言三宝宗の大本山。山号は蓬莱(ほうらい)山。寛平五年(八九三)宇多天皇の勅命により創建。開山は増命(静寛)と益信。寿永三年(一一八四)源平の戦いで焼失。建久元年(一一九〇源頼朝が再建。清(きよし)荒神。

きよずみ‐でら【清澄寺】

千葉県鴨川市、清澄山にある日蓮宗の寺。山号は千光山。宝亀二年(七七一)不思議法師の草創と伝えられる。承和三年(八三六)円仁が再興して天台宗、のち江戸初期に真言宗に改宗して後、昭和二四年(一九四九)日蓮宗となる。日蓮がこの寺で僧となり、南無妙法蓮華経の題目を唱えて立教開宗した。せいちょうじ。きよすみさん。

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日本歴史地名大系 「清澄寺」の解説

清澄寺
せいちようじ

[現在地名]宝塚市米谷 清シ

荒神こうじん川上流の長尾ながお山山腹に位置する。真言三宝宗大本山。蓬莱山と号し、本尊は大日如来。三宝荒神さん・かまどの神様として知られる。清澄寺縁起によると、宇多天皇・皇后が霊夢を見たのを機縁に勅願寺として寛平五年(八九三)建立に着手し、同八年金堂はじめ諸堂が完成、静観(天台座主増命)を開山に京都東寺(教王護国寺)の益信が導師となって開創された。承安二年(一一七二)住僧尊慧慈心坊(もと叡山学侶、多年法華経の持経者)閻魔大王に招かれた、つまり死去したが、法華経持経の功徳と、平清盛が慈恵(天台座主良源)化身であり、天台仏法護持のため日本に再誕したことを伝えるために、大王自筆の法華経を持って蘇生を許されたと伝える(冥途蘇生記)。延慶本「平家物語」(十四大政入道慈恵僧正ノ再誕ノ事)は清澄寺蔵「冥途蘇生記」とほぼ同文を引用、他の「平家物語」諸本も同趣旨の説話を引用する。このことは室町時代にすでに有名であった(「臥雲日件録」享徳元年四月一八日条)。また文正元年(一四六六)閏二月二二日には京都相国しようこく寺蔭涼軒主季瓊真蘂が有馬ありま(現神戸市北区)湯治の帰路当寺に詣で、尊慧が持帰ったという法華経をみている(蔭涼軒日録)

清澄寺
せいちようじ

[現在地名]天津小湊町清澄

清澄きよすみ山にある日蓮宗寺院。「きよすみでら」ともいわれ、日蓮の出家得度・立教開宗の寺とされる。千光山と号し、本尊は十界大曼荼羅。本堂には日蓮が願をかけたという虚空蔵菩薩も安置される。身延山久遠くおん寺・池上本門寺・誕生たんじよう寺とともに日蓮宗四霊場とされる。宝亀二年(七七一)無名の法師が虚空蔵菩薩を刻んで小堂を営んだのが創始とされ、承和三年(八三六)円仁が中興となって天台宗に改めたと伝える。嘉保三年(一〇九六)雷火で堂宇を焼失、国守源親元により再建されたという。承久期(一二一九―二二)鎌倉二位禅尼(北条政子)の千日講御願が行われ、宝塔・輪蔵の造立や大蔵経四千余巻の納経があったという(法華霊場縁起集)。授決円多羅義集唐決(金沢文庫文書)の嘉禎四年(一二三八)一一月一四日の奥書に「阿房国東北御庄清澄山道善房」とみえる。この奥書は日蓮一七歳(生年は貞応元年)のときの自筆とされ、「道善房」は彼が師事した道善の住坊とされる。

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改訂新版 世界大百科事典 「清澄寺」の意味・わかりやすい解説

清澄寺 (せいちょうじ)

千葉県鴨川市にあり,〈きよすみでら〉ともいう。山号は千光山。奈良時代に草創され,のち中絶,円仁が再興したというが,鎌倉時代には円仁開創の勝地,虚空蔵菩薩感応の霊地として,六十六部如法経のうちの1部が奉納されている。日蓮はここで出家得度し,1253年(建長5)法華信仰弘通(ぐづう)の第一歩を踏み出したが,かえってこれが原因で,結果的にここを追放され,鎌倉に出た。虚空蔵菩薩を本尊とした山林修行の道場で,円仁開創というように,日蓮当時は天台寺院であったが,鎌倉時代末期,武蔵金沢(かねさわ)称名寺(しようみようじ)の房総半島への教線伸張に伴い,これに吸収され真言律宗に属したとみられ,近世以降は真言宗智山派であったが,1949年,日蓮宗に改宗している。
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清澄寺 (きよすみでら)

清澄寺(せいちょうじ)

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百科事典マイペディア 「清澄寺」の意味・わかりやすい解説

清澄寺【せいちょうじ】

千葉県安房郡天津小湊町(現・鴨川市),清澄(きよすみ)山上にある日蓮宗の寺。〈きよすみでら〉とも。771年不思議法師の開創と伝え,円仁が再興したという。1233年日蓮が入寺し,1253年立教開宗したとされる。

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デジタル大辞泉プラス 「清澄寺」の解説

清澄(せいちょう)寺

千葉県鴨川市にある寺院。日蓮が出家し、遊学後に立教開宗を行った寺として知られる。771年、不思議法師の創建と伝わる。836年に円仁が訪れ、以後天台宗。江戸時代からの真言宗を経て、1949年より日蓮宗に改宗。宗門直轄の大本山となる。

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世界大百科事典(旧版)内の清澄寺の言及

【清澄寺】より

…千葉県安房郡天津小湊町にあり,〈きよすみでら〉ともいう。山号は千光山。奈良時代に草創され,のち中絶,円仁が再興したというが,鎌倉時代には円仁開創の勝地,虚空蔵菩薩感応の霊地として,六十六部如法経のうちの1部が奉納されている。日蓮はここで出家得度し,1253年(建長5)法華信仰弘通(ぐづう)の第一歩を踏み出したが,かえってこれが原因で,結果的にここを追放され,鎌倉に出た。虚空蔵菩薩を本尊とした山林修行の道場で,円仁開創というように,日蓮当時は天台寺院であったが,鎌倉時代末期,武蔵金沢(かねざわ)称名寺(しようみようじ)の房総半島への教線伸張に伴い,これに吸収され真言律宗に属したとみられ,近世以降は真言宗智山派であったが,1949年,日蓮宗に改宗している。…

※「清澄寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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