清助町後砂防林(読み)せいすけまちうしろさぼうりん

日本歴史地名大系 「清助町後砂防林」の解説

清助町後砂防林
せいすけまちうしろさぼうりん

[現在地名]能代市清助町・能代町字日和山下

能代町の西部、清助町南側一帯で、現能代公園の東端から西へ山王さんのう御旅所日和ひより山下辺りまでをいう。

清助町は能代町の中でも、西風をまともに受ける飛砂の被害の最も激しい地域であった。天保七年(一八三六)越後屋太郎右衛門が先祖の勤功を書き出した「能代地方之内清助町後越後屋太郎右衛門一分限砂留一件御賞形書裁之事」(渡辺家文書)によると、正徳元年(一七一一)に越後屋六代目太郎右衛門が「能代清助町後通ニ唐船御番所辺沖口御番所辺」の砂留普請を申し渡されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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