淵上郁太郎(読み)ふちがみ・いくたろう

朝日日本歴史人物事典 「淵上郁太郎」の解説

淵上郁太郎

没年:慶応3.2.18(1867.3.23)
生年天保8.10.20(1837.11.17)
征長解兵を図ろうとした幕末久留米藩尊攘派志士。諱は祐広。丹次,郁太郎と称し井村簡二,林田勘七郎,高瀬屋長兵衛と変名。父は延寿王院寺侍,雑貨商,馬医者淵上祐吉。安政3(1856)年,弟謙三と江戸の大橋訥庵の門に入り,万延1(1860)年,帰国。文久1(1861)年,藩校明善堂教官。同年上京し真木和泉の建白書を大原重徳に提出。元治1(1864)年の禁門の変後,長州に逃亡,薩長融和,第2次征長阻止を図ろうとするが,倒幕派の怒りを買い上坂,幕府に捕らわれる。獄中で征長回避を説き大目付永井尚志に認められ釈放,このため,幕府スパイと疑われ,柳川藩領で潜伏中,伊東甲子太郎らに暗殺された。

(吉田昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淵上郁太郎」の解説

淵上郁太郎 ふちがみ-いくたろう

1837-1867 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
天保(てんぽう)8年10月20日生まれ。弟謙三とともに大橋訥庵(とつあん)にまなぶ。文久元年筑後(ちくご)(福岡県)久留米藩(くるめはん)藩校明善堂教官となる。禁門の変後薩長和解につとめ,慶応元年大坂で幕吏に捕らえられる。釈放後幕府内通をうたがわれ,慶応3年2月18日伊東甲子太郎(きねたろう)らに暗殺された。31歳。名は祐広。変名に井村簡二,林田勘七郎など。

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367日誕生日大事典 「淵上郁太郎」の解説

淵上郁太郎 (ふちがみいくたろう)

生年月日:1837年10月20日
江戸時代末期の筑後久留米藩尊攘派志士
1867年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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