精選版 日本国語大辞典 「淳和天皇」の意味・読み・例文・類語
じゅんな‐てんのう ジュンワテンワウ【淳和天皇】
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第53代に数えられる天皇。在位823-833年。桓武天皇と妃藤原旅子との間に生まれ,名を大伴という。異母兄の嵯峨天皇の譲位によって即位した。嵯峨上皇が大内裏に近い冷然院(冷泉院)にいて重きをなし,皇太子には嵯峨上皇の皇子正良親王(のちの仁明天皇)が立ったが,淳和天皇は謙譲・温厚な性格で,兄上皇との間は円満に終始し,その在位の天長年間は政治的にはいたって安定していた。この間の史実は正史《日本後紀》の散逸によって多く伝わらないが,滋野貞主による百科事典《秘府略》,清原夏野らによる養老令の注釈《令義解》などの大著の成立は,淳和朝の文化的成果として特筆すべきであろう。死に当たって薄葬を遺詔したことも知られている。
執筆者:目崎 徳衛
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第53代天皇(在位823~833)。桓武(かんむ)天皇第3皇子。母は式家百川(ももかわ)の娘藤原旅子(たびこ)。諱(いみな)は大伴(おおとも)。薬子(くすこ)の変(810)で皇太子高岳(たかおか)親王が廃されたので、嵯峨(さが)天皇の皇太弟となり、天皇の譲位を受け即位。公卿(くぎょう)らに意見を提出させ、地方官に従来より大きな職務権限をもたせ、一方で勘解由使(かげゆし)の再置、巡察使の派遣などによって地方官の監督を強化しようとした。また清原夏野(きよはらのなつの)らの側近を登用して政治を進め、勅旨田や親王任国を置いて皇室財政を強化した。そのほか、令(りょう)の公的注釈書『令義解(りょうのぎげ)』や詩文集『経国集(けいこくしゅう)』を撰(せん)し、譲位後は主として淳和院に住んだ。遺詔により遺骨を砕いて散じたといわれる。承和(じょうわ)7年5月8日没、陵墓は京都大原野西嶺上陵(京都市西京区)。
[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代Ⅱ』(1959・東京大学出版会)』
(瀧浪貞子)
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786~840.5.8
在位823.4.16~833.2.28
桓武天皇の皇子。名は大伴(おおとも)。母は藤原百川の女旅子。810年(弘仁元)薬子(くすこ)の変で高岳(たかおか)親王(平城(へいぜい)天皇の子)が皇太子を廃されたあとをうけて,嵯峨天皇の皇太弟に立つ。践祚に際し,嵯峨天皇の皇子(仁明(にんみょう)天皇)を皇太子に立て,のちにこれに譲位した。贈皇后高志(こし)内親王(異母妹)・皇后正子内親王(嵯峨の女)との間に恒世(つねよ)・恒貞が生まれ,皇位継承は有望であったが,承和の変(842年)によってその望みは絶たれる。詩文に秀で,漢詩文集「経国集」を撰進させ,また「令義解(りょうのぎげ)」を完成させた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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