深谷(市)(読み)ふかや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「深谷(市)」の意味・わかりやすい解説

深谷(市)
ふかや

埼玉県北部にある市。1955年(昭和30)深谷町と明戸(あけど)、幡羅(はたら)、大寄(おおより)、藤沢の4村が合併、市制施行。1973年豊里(とよさと)村を編入。2006年(平成18)大里(おおさと)郡岡部町(おかべまち)、川本町(かわもとまち)、花園町(はなぞのまち)を合併。旧市域中央部を東西にJR高崎線、国道17号が通じ、南部を秩父(ちちぶ)鉄道、国道140号が走り、関越自動車道の花園インターチェンジがある。南部は櫛挽台地(くしびきだいち)とよばれる荒川の旧扇状地、北部は利根(とね)川の沖積低地からなる。台地と低地接点には中世に深谷城があり、江戸時代は中山道(なかせんどう)の宿場町としてにぎわい、5、10の日には生糸を中心とした市(いち)が立った。明治以後は台地ではクワ、低地では藍(あい)がつくられたが、藍は大正時代になるとネギにかわる。また小山(こやま)川沿岸地域では良質の粘土が分布するので、瓦(かわら)と土管の生産が江戸時代より盛んである。さらに、煉瓦(れんが)製造も歴史があり、旧煉瓦製造施設が国の重要文化財に指定され、日本煉瓦史料館もある。高崎線と国道17号による交通の便利さと、広い平地林や桑園が多く残っていたため第二次世界大戦後都市化が進んだ。1962年(昭和37)には深谷工業団地の造成とともに、東芝秩父セメント(現、太平洋セメント)など十数社の工場が進出し、県下有数の工業都市になった。豊里を中心とした利根川沖積低地は、ホウレンソウ、ネギ、キュウリなどの野菜の生産が多く、藤沢を中心とした洪積台地では、酪農花卉(かき)栽培が盛んである。実業家渋沢栄一の出身地で、記念館が建設されている。そのほか、深谷城跡、人見館(ひとみやかた)跡などがある。面積138.37平方キロメートル、人口14万1268(2020)。

[中山正民]

『『深谷市史』全2巻(1969、1980・深谷市)』


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