淀川長治(読み)よどがわながはる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「淀川長治」の意味・わかりやすい解説

淀川長治
よどがわながはる
(1909―1998)

映画評論家。明治42年4月10日、神戸市に生まれる。兵庫県立第三神戸中学校(現、長田高等学校)卒業。1932年(昭和7)にユナイテッド・アーティスツ大阪支社宣伝部に入社、以後主としてアメリカ映画の宣伝の仕事に携わり、1948年(昭和23)に雑誌『映画の友』の編集長となった。この雑誌の「友之会」を組織して熱心なファンを集めておしゃべりをした。その会員からのちにジャーナリストテレビディレクターが輩出し、淀川長治の映画解説のおもしろさが広く知られ、1966年にNET(のちのテレビ朝日)で映画解説者に起用されて、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」という結びの言葉が評判になり有名人となった。映画評論家とよばれたが、本人はあくまで自分は映画宣伝マンであると自負し、良い映画を心ゆくまで誉めて広く人々に興味をもたせるという仕事に誇りをもっていた。著書は『淀川長治自伝』ほか多数。1988年度(昭和63)の朝日賞など、賞も多数受けている。平成10年11月11日没。

佐藤忠男

『筈見有弘編『淀川長治集成1~4』(1987・芳賀書店)』『淀川長治著、鶴見俊輔監修『淀川長治――映画のある限り百年二百年でも』(2000・日本図書センター)』『佐藤有一著『わが師淀川長治との50年』(2000・清流出版)』『淀川長治著、岡田喜一郎編『淀川長治 究極の日本映画ベスト66』(2005・河出書房新社)』『淀川長治著、岡田喜一郎編『淀川長治映画ベスト1000』増補版(2009・河出書房新社)』『淀川長治著『淀川長治 私の映画遺言』(2010・日本図書センター)』『『淀川長治自伝』上下巻(中公文庫)』『荒井魏著『映画少年・淀川長治』(岩波ジュニア新書)』『岡田喜一郎著『淀川長治の映画人生』(中公新書ラクレ)』

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百科事典マイペディア 「淀川長治」の意味・わかりやすい解説

淀川長治【よどがわながはる】

映画評論家。兵庫県生れ。親の影響を受け,子供の頃から映画に精通し,うっすらだが4歳当時に見た映画の記憶があったという。日本大学中退。映画配給会社や映画会社などの職を経て,1947年に雑誌《映画の友》に入社し,翌1948年に同誌編集長として呼びかけ東京映画友の会を結成した。1960年に始まったテレビの西部劇ララミー牧場》の解説で有名となり,1966年から開始された長寿番組《日曜洋画劇場》では死去するまで解説者を務めた。その解説の中での〈怖いですねえ,恐ろしいですねえ〉のセリフや,番組最後の〈サヨナラ,サヨナラ,サヨナラ〉の挨拶は有名。多くの映画ファンを育て,名前をもじった〈ヨドチョーさん〉や〈サヨナラおじさん〉などの名でも親しまれた。著書として《映画散策》《淀長映画館》《淀川長治自伝》などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淀川長治」の解説

淀川長治 よどがわ-ながはる

1909-1998 昭和後期-平成時代の映画評論家。
明治42年4月10日生まれ。映画雑誌の編集部員,洋画配給会社の宣伝部長をへて昭和23年「映画之友」編集長となる。のちフリーとして活躍。テレビ「日曜洋画劇場」の解説者として出演,映画への愛を独特の口調でかたり人気をあつめた。平成10年11月11日死去。89歳。兵庫県出身。第三神戸中学卒。著作に「映画散策」「映画千夜一夜」など。

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