淀君(読み)ヨドギミ

デジタル大辞泉 「淀君」の意味・読み・例文・類語

よど‐ぎみ【淀君】

[1567~1615]豊臣秀吉側室。名は茶々。父は浅井長政。母は織田信長の妹小谷の方。浅井氏滅亡後、柴田勝家に嫁いだ母とともに越前に移り、柴田氏滅亡後は秀吉の保護を受け、愛妾となった。山城淀城に住み、長男鶴松・次男秀頼を産んで権勢を誇ったが、大坂夏の陣自刃淀殿

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精選版 日本国語大辞典 「淀君」の意味・読み・例文・類語

よど‐ぎみ【淀君】

安土桃山時代、豊臣秀吉の側室。ちゃちゃ、淀の者、淀の女房とも呼ばれ、淀君は江戸時代になってからの称。浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市の方。浅井氏滅亡後、柴田勝家に再嫁した母とともに越前北庄に行き、柴田氏滅亡後、秀吉に保護され、のち側室となる。天正一七年(一五八九)淀城を与えられ、長男鶴松・次男秀頼を生み権勢が強かった。大坂夏の陣で自刃。永祿一〇~元和元年(一五六七‐一六一五

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改訂新版 世界大百科事典 「淀君」の意味・わかりやすい解説

淀君 (よどぎみ)
生没年:1567-1615(永禄10-元和1)

豊臣秀吉の側室,秀頼の母。父は近江浅井郡小谷(おたに)城(現滋賀県長浜市,旧湖北町)の城主浅井長政,母は織田信長の妹お市の方(小谷方)。幼名はお茶々。1573年(天正1)信長に包囲された小谷城から母に伴われて妹2人とともに脱出し,信長の尾張清須城に入る。82年柴田勝家に再嫁した母に従い,越前北ノ庄(福井)城に入る。83年秀吉に攻められて北ノ庄は落城,勝家に殉じた母と別れ,妹2人とともに秀吉に庇護される。やがて秀吉の寵を受け89年山城淀城に移り,〈淀の女房〉と呼ばれ,この年,秀吉の子鶴松を生む(1591病死)。93年(文禄2)大坂城二の丸で拾(ひろい)(秀頼)を生む。翌年伏見城西の丸に移る。秀吉の死の翌年の99年(慶長4)秀頼とともに大坂城西の丸に入り,以後は〈お袋さま〉と呼ばれる。1615年(元和1)5月8日大坂落城により秀頼とともに自刃。秀頼生母として大坂城中で権勢を振るったことは事実であるが,淀君の乱行というのは江戸時代の創作(生前に〈淀君〉と呼ばれたことはない)である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「淀君」の意味・わかりやすい解説

淀君
よどぎみ

[生]永禄10(1567)頃.近江,小谷
[没]元和1(1615).5.8. 大坂
豊臣秀吉の側室。名はちゃちゃ,のちに淀殿,西の丸殿,二の丸殿と呼ばれた。近江の武将浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市 (→小谷の方 ) 。天正1 (1573) 年浅井郡小谷城が織田信長に攻められ落城するや母,妹2人とともに脱出,尾張清洲城に帰った。同 10年母お市の方が柴田勝家に再嫁するとこれに従って越前北庄城に入ったが,北庄は翌年羽柴秀吉に攻められ落城し,柴田勝家は滅び,母もこれに殉じた。妹2人とともに再び脱出して秀吉の保護を受け,同 17年頃に秀吉の側室となり,山城の淀城に移り,淀の女房と呼ばれた。文禄1 (92) 年頃大坂城二の丸に移り,二の丸殿と呼ばれた。同2年男児お拾 (ひろい,のちの秀頼) を産み,まもなく伏見城西の丸に移り,西の丸殿と呼ばれた。慶長8 (1603) 年徳川秀忠と小督の間に生れた千姫が秀頼に嫁し,同 10年秀忠が征夷大将軍に,秀頼が右大臣となった。同 19年京都方広寺大仏殿の造営に伴う鐘銘事件起り,さらに大坂冬の陣が起った。元和1 (15) 年1度東西和議が成立したが,続いて夏の陣が起り,ついに大坂落城となって淀君,秀頼は自刃し,豊臣氏は滅亡した。

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百科事典マイペディア 「淀君」の意味・わかりやすい解説

淀君【よどぎみ】

淀殿とも。豊臣秀吉の側室。通称茶々。父は浅井長政,母は織田信長の妹お市の方。浅井氏滅亡後,母が再嫁した柴田勝家に養われ,柴田氏滅亡後,秀吉の側室となり,秀頼を産み秀吉に寵愛された。秀吉の死後,秀頼を擁し,徳川家康に対抗したが,大坂の陣で敗れ自殺。→豊臣秀頼
→関連項目片桐且元豊臣氏

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旺文社日本史事典 三訂版 「淀君」の解説

淀君
よどぎみ

?〜1615
安土桃山時代の豊臣秀吉の側室
浅井長政の長女,母は織田信長の妹お市の方(のち柴田勝家と再婚)。お茶々・淀殿と呼ばれた。柴田勝家滅亡後,秀吉の保護をうけ,のち側室となり,長男鶴松(3歳で死亡)を生み,1593年秀頼を生んだ。秀吉死後大坂城にあって政務に介入し,徳川家康と対立。大坂夏の陣に秀頼とともに自刃した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「淀君」の解説

淀君
よどぎみ

淀殿(よどどの)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「淀君」の意味・わかりやすい解説

淀君
よどぎみ

淀殿

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