涅槃宗(読み)ねはんしゅう

精選版 日本国語大辞典 「涅槃宗」の意味・読み・例文・類語

ねはん‐しゅう【涅槃宗】

〘名〙 中国の仏教十三宗の一つ涅槃経教義主旨とするもの。
※破邪顕正抄(1324)上「この八宗にかぎらず種々の宗あり。いはゆる四論宗・涅槃宗・地論宗摂論宗等なり」

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デジタル大辞泉 「涅槃宗」の意味・読み・例文・類語

ねはん‐しゅう【××槃宗】

大般涅槃経所依とする宗派。中国、南北朝の梁代に盛んに行われた。中国十三宗の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「涅槃宗」の意味・わかりやすい解説

涅槃宗
ねはんしゅう

中国の仏教学派。大乗の『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』を正依(しょうえ)の経典として研究する学派。中国仏教十三宗の一つ。その盛期は南北朝から初唐にかけた時代である。すでに鳩摩羅什(くまらじゅう)門下の道生(どうしょう)(355―434)は、法顕(ほっけん)訳『仏説大般涅槃経』六巻に基づいて闡提(せんだい)成仏論(正しい法を信ぜず求道心を欠く者も成仏するという説)を主張していたが、まもなく曇無讖(どんむせん)(385―433)によって『四十巻涅槃経』(北本)が、430年に東晋(とうしん)の都建康(けんこう)(南京(ナンキン))に伝えられて以来、中国仏教界における本経講習の気運が急速に高まった。436年に、宋(そう)の慧厳(えごん)、慧観(えかん)、謝霊運(しゃれいうん)は、これを先の六巻本と対校して、36巻本のいわゆる『南本涅槃経』を作成した。爾来(じらい)、宋、斉、梁(りょう)、陳代を通じて、この南本が河南の地で研鑽(けんさん)されたが、とくに梁代が最盛期であった。梁の三大法師といわれた光宅寺法雲(こうたくじほううん)、開善寺智蔵(かいぜんじちぞう)、荘厳寺僧旻(しょうごんじそうびん)は、いずれも本経の研究者であった。また、北方においても、『涅槃経疏(しょ)』15巻を著すほか、長安延興寺にあって涅槃の宗旨を宣顕して多数の弟子を指導した曇延(どんえん)(516―588)や、浄影寺慧遠(えおん)(523―592)など、多数の研究鑽仰(さんぎょう)者を輩出した。なお、梁三大法師以前の涅槃経研究の状況をうかがうためには、梁の宝亮(ほうりょう)(444―509)らの撰(せん)『大般涅槃経集解(しゅうげ)』71巻が貴重な資料である。

[柏木弘雄]

『布施浩岳著『涅槃宗の研究』(1942・叢文閣/復刻版・1973・国書刊行会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「涅槃宗」の意味・わかりやすい解説

涅槃宗 (ねはんしゅう)
Niè pán zōng

中国仏教十三宗の一つ。北涼の曇無讖(どんむしん)によって漢訳された《大般涅槃経》40巻を所依の経典として開かれた宗派なので涅槃宗という。〈如来は常住でうつり変わることなし〉と〈一切の衆生に悉(ことごと)く仏性あり〉との教旨を説いた。南朝では慧観(383-453)らが謝霊運の協力を得て36巻本の南本《涅槃経》を完成させたことから大いに栄えた。しかし,隋代に智顗(ちぎ)が天台宗をおこし,涅槃の教旨を吸収してしまったので,急速に衰え,日本では宗派としての存在は認められない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「涅槃宗」の意味・わかりやすい解説

涅槃宗
ねはんしゅう
Nie-pan-zong

中国仏教の宗派の一つ。大乗仏教の伝える『大般涅槃経』に立脚し,そのなかにみえる重要な思想,すなわちこの世の生きとし生けるものには本来仏陀となる可能性がそなわっている (→一切衆生悉有仏性 ) とする思想を基本とする。東晋時代には道生が,仏陀となる素質をもたない人々でさえ仏陀となることができるという説を唱えて思想界に波紋を投げ,南北朝時代には南の地方で,『南本涅槃経』を中心に,その研究が盛んであった。

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