海陵王(読み)かいりょうおう(英語表記)Hǎi líng wáng

精選版 日本国語大辞典 「海陵王」の意味・読み・例文・類語

かいりょう‐おう ‥ワウ【海陵王】

中国、金朝の第四代皇帝在位一一四九‐六一)。熙宗(きそう)を殺して即位政治機構を統一して独裁権力を強化し、首都燕京北京)に移して中都と称した。南宋平定の途中部下に殺された。(一一二二‐六一

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改訂新版 世界大百科事典 「海陵王」の意味・わかりやすい解説

海陵王 (かいりょうおう)
Hǎi líng wáng
生没年:1122-61

中国,金朝第4代の皇帝。在位1149-61年。完顔亮(女真名,迪古乃)。クーデタによって煕宗を殺害して即位し,宗室などの旧勢力を抑えて独裁権力の確立をはかった。1150年(天徳2)には宗室を大虐殺してその勢力を奪った。また独立的な地方機関に対しても統制を強めて,同年行台尚書省を廃止し,都元帥府を枢密院と改めたほか,翌年には世襲万戸を廃してそのあとに節度使を任命し,中央政府の権限を強めた。53年(貞元1)首都を上京会寧府(現在の黒竜江省阿城県付近)から燕京(のち中都と改称,現在の北京)に遷し,56年(正隆1)には中書門下両省を廃して尚書省に権限を集中し,こうして独裁体制を築いた。そして61年には中国統一の野望に燃えて自ら南宋征伐に向かったが,あまりに過酷な徴発をしたために国内に動揺がひろがって,契丹人が西北方面で反乱おこし,遼陽では東京留守烏禄(世宗)が自立して大混乱となった。こうした中で海陵王は部下によって揚州で殺害された。世宗はのちに彼を皇帝の位から海陵郡王に降し,最後には庶人にまでおとした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「海陵王」の意味・わかりやすい解説

海陵王
かいりょうおう
(1122―1161)

中国、金の第4代皇帝(在位1149~61)。阿骨打(アクダ)の孫。父は宗幹(そうかん)。女真(じょしん)名は迪古乃(テキコナイ)。諱(いみな)は亮(りょう)。1149年、腹心の者と謀り煕宗(きそう)を殺して帝位についた。そして数か月後には第2代の太宗や宗翰(そうかん)の子など宗室の者百数十人および重臣を殺し、反対勢力を一掃した。また華北統治の機関であった行台尚書省を廃止し、都元帥府を枢密院と改めたのち、56年には門下、中書の2省を廃止し、政務執行機関を尚書省のみとし、腹心の部下をもって尚書省を構成させた。このため尚書省は皇帝の完全な従属機関となり、彼の独裁体制が確立した。また、これまで路(ろ)の長官として地方に勢力のあった世襲万戸を廃止し、かわりに中央の官僚である節度使を路の長官に任命し、中央においても地方においても君主独裁の中央集権的専制国家を完成させた。彼は53年燕京(えんけい)(いまの北京(ペキン))に遷都して中都と改称し、旧都上京会寧府(じょうけいかいねいふ)の宮殿や邸宅を取り壊し廃墟(はいきょ)としてしまった。彼は宋(そう)を滅ぼして中国を統一しようとし、61年南征軍をおこし、自ら出兵したが、契丹(きったん)人や女真人の間に反乱が起きた。このとき遼陽(りょうよう)で世宗が即位すると南征女真軍の間にも動揺が伝わり、将兵は彼に背いて遼陽に引き返した。海陵王も一隊を率いて帰る途中61年11月、部下に殺された。

[河内良弘]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海陵王」の意味・わかりやすい解説

海陵王
かいりょうおう
Hai-ling-wang

[生]天輔6(1122)
[没]大定1(1161)
中国,の第4代皇帝 (在位 1149~61) 。姓名は完顔亮。女真名は迪古乃。諡は煬。クーデターを起し,煕宗を殺して位を奪うと,中国文化に心酔する教養人であった彼は,反対勢力を押えて中国人を重用。国家機構の中国化と皇帝権の独裁化をはかり,首都を満州の上京会寧府から華北の燕京に移し,さらに南宋平定を企図,大定1 (61) 年親征したが,失敗。国内に反乱が発生し,反乱軍の将完顔元宜に殺された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「海陵王」の解説

海陵王
かいりょうおう

1122〜61
金の第4代皇帝(在位1149〜61)
女真名はテクナイ。太祖阿骨打の庶皇孫,従弟の第3代熙宗 (きそう) の宰相であったが,クーデタを起こして即位。首都を会寧府 (かいねいふ) から燕京 (えんきよう) (現在の北京)に移した。南宋遠征中に反乱が起き,揚州で暗殺された。死後帝号を奪われ,王に下げられ廃帝亮 (はいていりよう) と記される。

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