海老名氏(読み)えびなうじ

改訂新版 世界大百科事典 「海老名氏」の意味・わかりやすい解説

海老名氏 (えびなうじ)

相模国高座郡海老名郷を本領とする中世武家。武蔵七党横山党の流れをくむ季兼が,相模守源有兼(異説親季)の養子となってこの地に住み,海老名を称したのに始まるという。一族の名はすでに《保元物語》などにもみえ,鎌倉御家人となってからは各地に所領を得て発展する。横山党の他の諸氏と同じように,1213年(建保1)の和田合戦で一族の多くを失うが,西国の所領に下った子孫は繁栄している。そのうち播磨国矢野荘例名・那波浦地頭職,別名下司職などを相伝した一族は,鎌倉時代末~南北朝時代にかけて,荘園領主の支配が弱体であることに目をつけ,同荘の開発領主の系譜をひく寺田氏らとともに荘園領主に反抗し,悪党人のレッテルをはられた。そのほか,鎌倉時代末期の因幡国守護としてみえる海老名維則や,1305年(嘉元3)北条時村を討った海老名秀綱,室町幕府奉公衆中にみえる海老名氏も同じ一族とみられる。
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世界大百科事典(旧版)内の海老名氏の言及

【南阿弥】より

…続群書類従本《御的日記》1368年(正平23∥応安1)の条に海老名六郎左衛門が見え,《太平記》巻二十九にも海老名六郎が登場するなど,ほぼ同時代にこのな阿弥の前名と似通った人物が複数存在している。南阿弥はおそらく,義満配下の武士として数多くの一族を輩出した海老名氏の出身と思われる。南阿弥の地位は琳阿弥など一般の遁世者よりも高かったようで,世阿弥らから敬意をはらわれているのも,出身のゆえかもしれない。…

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