浮石寺(読み)ふせきじ

改訂新版 世界大百科事典 「浮石寺」の意味・わかりやすい解説

浮石寺 (ふせきじ)

韓国,慶尚北道栄州郡浮石面にある華厳宗の寺。山号は太白山。新羅文武王16年(676)義湘(ぎしよう)国師により創建された名刹。寺名は無量寿殿後方の巨石が浮いたようにみえるところから浮石寺とつけられたともいい,また善妙尼の霊が石を浮かせて義湘を法難から救ったという伝承もある。寺地鳳凰山の山麓に石壇を段々に築き,下段に3層石塔2基,第3段に梵鐘楼,第6段の安養門から最上段の無量寿殿に至る。無量寿殿の正面に統一新羅時代の石灯と礼拝石,東方の高台に同時代の3層石塔を配り,北方山道をたどって祖師堂に至る。無量寿殿は桁行5間,梁間3間で柱には強いエンタシスをもち,入母屋造の屋根に強い軒ぞりをもつ。日本の大仏殿に類し,宋様式の影響を示す。解体修理中に発見された墨書銘に1376年重創とあるが,様式上は修徳寺大雄殿(1308)より古く,13世紀後半ころの建立と推定される。堂内西寄りに東面して安置される本尊釈迦如来は,塑造の丈六仏で,高麗時代の塑造の作例として貴重である。祖師堂は桁行3間,梁間1間,切妻造屋根の小堂で1377年の建立になり,開基義湘国師の真影を奉る。堂内入口左右の壁面には建立当初の製作になる菩薩像2面,四天王像4面の壁画が残る。高麗時代にさかのぼる唯一の建物壁画で,現在は取りはずして無量寿殿内に収蔵する。境内には統一新羅時代の石造物として幢竿支柱や,石造如来座像2軀などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浮石寺」の意味・わかりやすい解説

浮石寺
ふせきじ
Pusǒk-sa

大韓民国(韓国),キョンサンプク(慶尚北)道北部のヨンジュ(栄州)市にある仏寺。新羅文武王16(676)年に新羅華厳宗(→華厳宗)の祖,義湘により創建されたが,現存する遺構高麗中期以降の再建である。金堂にあたる無量寿殿は鳳停寺極楽殿などと並ぶ朝鮮最古の木造建築で,正面 5間の入母屋造,細部の架構に中国宋代の建築様式の影響を受けており,天竺様(柱心包様式)を忠実に模している。殿内には国宝『阿弥陀如来坐像』が安置され,新羅末期の彫刻様式を伝える唯一の大型塑像(像高 2.7m)となっている。2018年通度寺,鳳停寺,法住寺など国内に点在する六つの山岳仏教僧院とともに世界遺産の文化遺産に登録された。(→朝鮮建築

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浮石寺」の意味・わかりやすい解説

浮石寺
ふせきじ / プソクサ

韓国(大韓民国)の名刹(めいさつ)。676年に義湘(ぎしょう)が華厳(けごん)の根本道場として設立した。慶尚北道の栄州から太白山塊の懐深く入った所、鳳凰(ほうおう)山の斜面に位置し、幾重にも築かれた高い石壇の上に堂塔が建っている。鳳凰山浮石寺という扁額(へんがく)のかかる梵鐘楼(ぼんしょうろう)があり、さらに上方には李朝(りちょう)建築の傑作安養楼と、本堂無量寿殿がある。無量寿殿は1376年の重創と伝えられ、高麗(こうらい)の木造建築の粋を伝えている。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)、前庭にある新羅(しらぎ)時代の八角石灯、別の高所にある新羅時代の高さ5.62メートルの三層石塔などとともに、すべて国宝になっている。

[紅山雪夫]

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百科事典マイペディア 「浮石寺」の意味・わかりやすい解説

浮石寺【ふせきじ】

韓国,慶尚北道栄州郡にある寺。新羅(しらぎ)時代中期,676年華厳(けごん)宗の祖師義湘(ぎしょう)が創建。無量寿殿(1376年再建),祖師殿(1377年建立)は高麗時代の建築で,前者は朝鮮の木造建築最古の遺例,後者は四天王や菩薩の壁画で飾られている。他に新羅時代の石塔がある。
→関連項目高麗

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