浮島ヶ原
うきしまがはら
静岡県富士市から沼津市にかけての沿岸低湿地。かつては沼地であったが、愛鷹(あしたか)山の裾野(すその)と駿河(するが)湾奥部の砂丘との間の潟湖(せきこ)状の富士沼、浮島沼、柏原(かしわばら)沼、須津(すど)沼などが、沼川や山地からの小河川の運搬する土砂によって埋め立てられ、沼は消滅した。しかし、排水不良地で湛水(たんすい)の害や、浮島現象が洪水時に生じるため1943年(昭和18)第一昭和放水路を完成、1963年第二放水路を完成して水田化を進めた。泥層や泥炭層などの厚い軟弱地盤の地帯であるが、盛り土による土地利用の変化もみられ、国道1号(旧、富士バイパス)が浮島ヶ原を横断する。以前は愛鷹山麓(さんろく)に沿う根方(ねがた)街道が東西の交通路であり、東海道は南の砂丘上を通り低湿地を避けていた。
[北川光雄]
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浮島ヶ原
うきしまがはら
静岡県東部,富士市から沼津市にまたがる低湿地。富士山および愛鷹山南麓に東西約 14km,南北 2kmにおよび,面積 20km2。沿岸州の発達で駿河湾の一部がせきとめられ浮島,柏原,須津沼 (すどぬま) などができた。その後,水田化が進んだが,沼川の排水不良や高潮の浸入で不作地が多かった。現在は昭和放水路や水門の完工と干拓事業の促進で美田地域となっている。須津沼付近は泥炭の軟弱地盤のため,往古の潟の面影が残る。
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デジタル大辞泉
「浮島ヶ原」の意味・読み・例文・類語
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世界大百科事典内の浮島ヶ原の言及
【富士川の戦】より
…もともと兵力,軍粮に不安のあった中央平氏軍の戦意は萎縮するばかりであった。他方源頼朝も,20日には富士川近くの賀島(富士市)まで兵を西進させたが,同日夜半,武田信義軍が平氏軍の背後に進出しようとしたところ,富士沼(浮島ヶ原)に群棲する水鳥がいっせいに舞い上った。その羽音を大軍の来襲と誤認した平氏軍は総崩れとなり,なすところなく潰走したという。…
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