浜尾 新(読み)ハマオ アラタ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「浜尾 新」の解説

浜尾 新
ハマオ アラタ


肩書
枢密院議長,文相,東京帝大総長

生年月日
嘉永2年4月20日(1849年)

出生地
但馬国豊岡(兵庫県豊岡市)

学歴
慶応義塾 大学南校

経歴
豊岡藩の藩命により英学・仏学を学び、ケンブリッジ大学から栄誉学位を受けた。明治5年大学南校の中監事、7年東京開成学校校長心得を経て、東大副総理として加藤弘之総長を助け創立当初の東大とともに歩いた。この間、文部省入りして学務局長、学術制度調査のため欧州派遣。明治26年帝大総長。30年第2次松方内閣の文相。その後、元老院議官貴族院議員枢密顧問官などを歴任。大正時代には東宮御学問所副総裁として7年間、のちの昭和天皇の教育を担当し、大正13年枢密院議長に就任。また海外の推理小説造詣が深く、自らも創作し、多くの作家を育てた本格派推理文学の開拓者でもある。

没年月日
大正14年9月25日

家族
孫=浜尾 実(東宮侍従)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「浜尾 新」の解説

浜尾 新
ハマオ アラタ

明治期の教育行政官 東京帝大総長;枢密院議長;文相。



生年
嘉永2年4月20日(1849年)

没年
大正14(1925)年9月25日

出生地
但馬国豊岡(兵庫県豊岡市)

学歴〔年〕
慶応義塾,大学南校

経歴
豊岡藩の藩命により英学・仏学を学び、ケンブリッジ大学から栄誉学位を受けた。明治5年大学南校の中監事、7年東京開成学校校長心得を経て、東大副総理として加藤弘之総長を助け創立当初の東大とともに歩いた。この間、文部省入りして学務局長、学術制度調査のため欧州派遣。明治26年帝大総長。30年第2次松方内閣の文相。その後、元老院議官、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任。大正時代には東宮御学問所副総裁として7年間、のちの昭和天皇の教育を担当し、大正13年枢密院議長に就任。また海外の推理小説に造詣が深く、自らも創作し、多くの作家を育てた本格派推理文学の開拓者でもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「浜尾 新」の解説

浜尾 新 (はまお あらた)

生年月日:1849年4月20日
明治時代の教育家。東京大学総長;枢密院議長;子爵
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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