浅野長訓(読み)あさのながみち

改訂新版 世界大百科事典 「浅野長訓」の意味・わかりやすい解説

浅野長訓 (あさのながみち)
生没年:1812-72(文化9-明治5)

幕末・維新期の広島藩主。浅野長懋(ながとし)の5子として生まれ,初め浅野氏内証分家長容の養子となるが,1858年(安政5)広島藩主慶熾(よしてる)が嗣子なく没したため,宗家に入り,翌年茂長(もちなが)と改名。辻将曹らを年寄に登用して藩政改革推進するとともに,両度長州征伐王政復古の際も調停役として功があった。68年長訓と改名したが,69年病気により致仕,養嗣子長勲(ながこと)に家督譲り,東京に没した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野長訓」の解説

浅野長訓 あさの-ながみち

1812-1872 幕末の大名
文化9年7月29日生まれ。浅野重晟(しげあきら)の孫。安芸(あき)広島藩支藩の新田藩主浅野家5代をついだが,安政5年本藩を相続,広島藩主浅野家11代となる。辻維岳(いがく)らを登用して藩政改革を推進。両度の幕長戦争で和議調停につとめ,大政奉還にも尽力した。明治5年7月26日死去。61歳。前名は茂長。名は「ながくに」ともよむ。

浅野長訓 あさの-ながくに

あさの-ながみち

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野長訓」の解説

浅野長訓 (あさのながみち)

生年月日:1812年7月29日
江戸時代末期;明治時代の大名
1872年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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