浄瑠璃寺(読み)じょうるりじ

精選版 日本国語大辞典 「浄瑠璃寺」の意味・読み・例文・類語

じょうるり‐じ ジャウルリ‥【浄瑠璃寺】

京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺。山号は小田原山。阿彌陀仏九体を本尊とするところから九体寺(くたいじ)九品寺(くほんじ)とも呼ばれる。天平年間(七二九‐七四九聖武天皇の勅願により行基(ぎょうき)が開いたと伝えられる。永承二年(一〇四七)義明が中興。本堂・三重塔・阿彌陀如来坐像・四天王立像は国宝。また吉祥天立像は秘仏として有名。

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デジタル大辞泉 「浄瑠璃寺」の意味・読み・例文・類語

じょうるり‐じ〔ジヤウルリ‐〕【浄瑠璃寺】

京都府木津川市加茂町西小にある真言律宗の寺。山号は小田原山。開創には諸説がある。永承2年(1047)本願義明が本堂を建立、のち保元2年(1157)に移築され、このころ9体の阿弥陀如来像が安置された。本堂や三重の塔など多数の国宝のほか、吉祥天立像なども有名。九体寺くたいじ九品寺くほんじ

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日本歴史地名大系 「浄瑠璃寺」の解説

浄瑠璃寺
じようるりじ

[現在地名]加茂町西小

加茂町南部の当尾とうのおの山中、奈良県境近くにある。小田原山法雲院と号し、真言律宗。本尊は阿弥陀如来。九体の阿弥陀如来を安置することから九品くほん寺とも九体くたい寺とも称される。北大門を入ると左手に鐘楼が立ち、眼前に阿字池がせまる。池の中央に弁財天を祀る中島がある。この阿字池を挟んで西に本堂の阿弥陀堂が東面し、東に三重塔が西面している。藤原時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残す唯一の寺。庭園は国指定特別名勝・史跡。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔建立の経緯〕

古くは西小田原にしおだわら寺と称したとも、また西小田原寺の一院であったともいわれるが明らかでない。浄瑠璃寺の東方、現東小ひがしおの地には浄瑠璃寺より先に東小田原寺(随願寺の名でよばれたらしい)があった(浄瑠璃寺流記)。「大乗院寺社雑事記」文明九年(一四七七)四月二八日条には「西小田原寺号浄瑠璃寺」とみえ、「山城名勝志」には「小田原寺 土人云昔四十九院アリト云々、浄瑠璃寺モ此内ナルヘシ」とある。浄瑠璃寺の創建や歴史を知るうえで最も信頼できると評され、「此流記者以尺迦院之本写之執□別記在之追可入之者也、観応元年庚寅季秋十六日翰林士長算」との表紙裏書のある「浄瑠璃寺流記」には、

<資料は省略されています>

とあり、永承二年(一〇四七)当麻たいま(現奈良県當麻町)の義明を本願として建立されたとしている。しかし、嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」には「聖武天皇天平十一己卯年勅願、行基菩薩開基、阿智山太夫佐伯重頼之本願也、義明上人再建、本尊薬師仏并九品阿弥陀仏也」と記し、「雍州府志」には「人皇六十四代円融院天元年中多田満仲所創建 而安置行基菩薩所刻之薬師五尺坐像」とあり、天平一一年(七三九)説、天元年間(九七八―九八三)説をとっている。

浄瑠璃寺
じようるりじ

[現在地名]松山市浄瑠璃町

浄瑠璃町のほぼ中央にあり、前方には御坂みさか川が流れている。医王山養珠院と号し、真言宗豊山派。本尊は薬師如来。寺伝によると、養老五年(七二一)に越智玉澄の創建になったが、慶長五年(一六〇〇)に兵火にかかって堂宇および記録類を焼失したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「浄瑠璃寺」の意味・わかりやすい解説

浄瑠璃寺 (じょうるりじ)

京都府木津川市の旧加茂町にある真言律宗の寺。小田原山法雲院と号す。本尊阿弥陀如来像。本堂に9体の阿弥陀如来を安置するので,九品(くほん)寺とも,九体(くたい)寺ともいう。境内は広潤で幽邃の景勝地で,大門を入ると眼前に阿字池が広がる。この阿字池を挟んで三重塔と本堂の阿弥陀堂が東西に相対し,平安後期の貴族社会に盛行した阿弥陀浄土信仰の描く理想境をいまにしのばせている。739年(天平11)聖武天皇の勅願を奉じた行基の開創とか,天元年間(978-983)多田満仲の創建ともいうが,いま一つ確かでない。下って1047年(永承2)ごろ,当麻(たいま)寺の義明を本願,阿知山大夫重頼を檀那として,堂宇が一応整備されたと考えられる。ついで1150年(久安6),関白藤原忠通の子の興福寺一乗院の恵信がさらに寺観をととのえ,また78年(治承2)高倉天皇の勅で洛中から三重塔を移建,一乗院支配下の顕密道場として平安・鎌倉期を推移した。南北朝期に入って,宮廷貴族の没落とともに,往時の寺運は傾き,寺伝によると1343年(興国4・康永2)ほぼ現有の建物を残して,講堂,十万堂,如法堂,開山堂,経蔵,楼閣などを焼失したといい,以後,ついに旧観に復さなかった。なお,当寺から岩船(がんせん)寺に至る道は,有名な当尾(とうのお)石仏群の一画を通り,古趣にあふれる。
執筆者:

本堂(1107建,国宝)は間口11間,奥行4間の長大な建物で,屋根はゆるい勾配の寄棟造,組物は隅にのみ舟肘木を用いる簡素なつくり。内部は9間に2間の内陣に9間通しの仏壇を構え,ここにいわゆる定朝様の9体の木造阿弥陀如来座像(国宝)を一列に安置し,四隅に木造四天王立像(国宝)を配する。藤原時代に多く建立された〈九体阿弥陀堂〉のうち,建物と仏像がともに現存する唯一の遺構。1150年造営の池を挟んで本堂に対峙する三重塔(国宝)は,前述のように78年移建されたものだが,建立年代などの沿革は不明だが,様式上,平安時代後期に属する。勾配のゆるい垂木や檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根で形づくられる軽快な意匠とともに,初重内部に描かれた十六羅漢像の壁画(重要文化財)も平安時代絵画史上の好資料。他に彫刻としては地蔵菩薩立像,馬頭観音立像,薬師如来座像不動明王および二童子立像などがあり,とくに秘仏吉祥天立像は著名(いずれも重要文化財)。石灯籠2基も重要文化財。なお庭園は特別名勝。
浄土教美術
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄瑠璃寺」の意味・わかりやすい解説

浄瑠璃寺
じょうるりじ

京都府木津川(きづがわ)市加茂町西小(かもちょうにしお)にある真言律宗の寺。小田原山(おだわらさん)法雲院と号し、通称九品寺(くほんじ)、九体寺(くたいじ)ともいう。本尊は九体阿弥陀如来(あみだにょらい)。創建については諸説あるがさだかでない。『浄瑠璃寺流記事』によると、1047年(永承2)當麻寺(たいまでら)の僧義明(ぎめい)が堂宇を建立したと伝える。現在、三重塔内に安置されている薬師(やくし)如来像は、九体阿弥陀如来像より60年前に造顕されたこの寺の初めの本尊である。1107年(嘉承2)には新本堂として九体阿弥陀堂が建立された。1150年(久安6)には興福寺一乗院門跡(もんぜき)伊豆僧正(そうじょう)恵信(えしん)によって池が掘られ、庭園がつくられて、現在の寺観の基礎ができあがった。1178年(治承2)鐘楼が完成。同年京都一条大宮(京都市上京区)から三重塔が移築された。平安後期から鎌倉時代へかけて諸堂が造営され、各種法会(ほうえ)が行われている。興福寺との関係も深く顕密の道場として発展した。1343年(興国4・康永2)火災によって諸堂焼失したが、さいわい、本堂(九体阿弥陀堂)と三重塔(いずれも国宝)は火難を免れ、平安時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残している。寺宝は多く、木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)9体、木造四天王立像4体は国宝に、薬師如来坐像、地蔵菩薩(ぼさつ)立像、延命地蔵菩薩立像、不動明王および二童子立像、吉祥天(きちじょうてん)立像、馬頭観音(かんのん)立像、三重塔初重壁画、石灯籠(いしどうろう)2基は国重要文化財に指定され、庭園は史跡・特別名勝。

[野村全宏]


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百科事典マイペディア 「浄瑠璃寺」の意味・わかりやすい解説

浄瑠璃寺【じょうるりじ】

京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)にある真言律宗の寺。行基の開基,1047年義明上人の再興と伝える。1107年定朝様式の阿弥陀像9体(中央のみ丈六,他は半丈六)がつくられ,九体阿弥陀堂(現在の本堂,国宝)が造営された。九体阿弥陀堂は藤原時代に多くつくられたが現存するのはこれだけで,この堂によって九体寺・九品(くほん)寺とも呼ばれている。本堂には他に多彩色の施された四天王像や吉祥天像がある。園池(名勝・史跡)は1150年一乗院恵信がつくったもので,対岸の三重塔(国宝)の基部から蓮(はす)池に映る阿弥陀像を礼拝することができるようになっており,平安貴族の浄土鑽仰(さんぎょう)のありさまを知ることができる。
→関連項目阿弥陀堂加茂[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浄瑠璃寺」の意味・わかりやすい解説

浄瑠璃寺
じょうるりじ

京都府南端部,木津川市にある真言律宗の寺。九品寺,九躰寺ともいう。聖武天皇の勅により行基が創建し,薬師仏を安置したと伝えられる。永承2 (1047) 年義明上人が再興し,定朝様 (→定朝 ) の9体の阿弥陀如来坐像を安置した。のち火災にあったが,本堂と三重塔は難を免れて現存し,国宝に指定されている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浄瑠璃寺」の解説

浄瑠璃寺
じょうるりじ

京都府木津川市にある真言律宗の寺。小田原山と号す。本堂に安置する9体の阿弥陀仏にちなみ,九品(くほん)寺・九体(くたい)寺ともいう。開創は未詳。11世紀半ば頃から伽藍の整備が進められ,現在の本堂は1107年(嘉承2)建立という。78年(治承2)には洛中から三重塔が移建された。興福寺のもとで栄えたが,のち衰退。本堂と三重塔は国宝,三重塔初塔壁画の十六羅漢図は重文。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浄瑠璃寺」の解説

浄瑠璃寺
じょうるりじ

京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺
九品阿弥陀仏を安置するので,九品寺 (くほんじ) ともいう。奈良時代行基の建立と伝えるが確かでない。藤原時代に建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として著名。その他三重塔や彫刻の『九品阿弥陀仏像』『吉祥天女像』など藤原時代のものが多い。

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事典 日本の地域遺産 「浄瑠璃寺」の解説

浄瑠璃寺

(京都府木津川市加茂町西小札場40)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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デジタル大辞泉プラス 「浄瑠璃寺」の解説

浄瑠璃寺〔京都府〕

京都府木津川市にある寺院。真言律宗。創建年代は諸説あり不詳。本尊は阿弥陀如来。庭園は国の特別名勝・史跡、9体の阿弥陀如来像を安置する本堂(阿弥陀堂)は国宝に指定。

浄瑠璃寺〔愛媛県〕

愛媛県松山市にある寺院。真言宗豊山派。山号は医王山、院号は養珠院。本尊は薬師如来。養老年間の創建と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第46番札所。

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世界大百科事典(旧版)内の浄瑠璃寺の言及

【阿弥陀堂】より

…一方,九体阿弥陀堂は藤原道長建立の法成(ほうじよう)寺(1020)が古い例で,京都を中心に各地に建てられた。現存するのは浄瑠璃寺本堂(1107)のみである。これらの阿弥陀堂に共通する特色は,苑池を伴うものが多いこと,内部装飾が華麗で壁画や彩色文様などを各部に施していることであり,阿弥陀浄土を眼前することが目的であった。…

※「浄瑠璃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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