洲本(読み)すもと

精選版 日本国語大辞典 「洲本」の意味・読み・例文・類語

すもと【洲本】

兵庫県淡路島南東部の地名。洲本平野の東端に位置する淡路島の中心都市。大阪湾に面する要港。江戸時代は蜂須賀家の家老稲田氏の城下町。酪農業・水産業のほかに綿紡績などの工業も盛ん。昭和一五年(一九四〇)市制。

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デジタル大辞泉 「洲本」の意味・読み・例文・類語

すもと【洲本】

兵庫県、淡路島中部の市。同島の中心地。肉牛飼育が盛ん。近世徳島藩の家老稲田氏の陣屋町。平成18年(2006)2月、五色町と合併。人口4.7万(2010)。

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日本歴史地名大系 「洲本」の解説

洲本
すもと

現洲本川(塩屋川)河口右岸一帯をさす。須本とも記される。文安二年(一四四五)の兵庫北関入船納帳や兵庫北関雑船納帳のなかに米・塩・材木を積載した「洲本」「スモト」「須本」の船の入港が多く認められ、港湾としての機能をもつ地であった。永正一八年(一五二一)には細川高国に追われた室町将軍足利義稙が「スモト」に渡ったとされ(「仁和寺諸記抄」同年三月一五日条)、翌大永二年(一五二二)九月吉日には「すもと一円」の伊勢道者株が淡路屋善兵衛光家らから福井主計助へ売却されている(「道者売券写」輯古帖)

当地は港湾機能をもつ地であったことから諸勢力の拠点となり、また争奪の対象となった。天文二三年(一五五四)一〇月一二日から二八日にかけて、三好長慶が洲本に渡り、阿波三好義賢讃岐の十川一存、淡路の安宅冬康ら諸地域に勢力をもつ兄弟衆と会合をもっている(細川両家記)

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改訂新版 世界大百科事典 「洲本」の意味・わかりやすい解説

洲本[市] (すもと)

兵庫県淡路島中部にある市。2006年2月旧洲本市が五色(ごしき)町を編入して成立した。人口4万7254(2010)。

洲本市北西部の旧町で,淡路島の西岸にある。旧津名郡所属。人口1万1101(2005)。都志川,鳥飼川をはじめ多数の谷が丘陵を刻み,起伏の激しい地形をなす。主産業は農業で,米作のほか野菜,ミカンの栽培が盛ん。和牛の飼育など,畜産も活発である。瓦の生産を中心とした製造業や瀬戸内海におけるサワラ漁,ノリ,ワカメの養殖も行われている。中心集落の都志(つし)は港町で,江戸後期の廻船業者高田屋嘉兵衛の出身地である。瀬戸内海国立公園の一部をなす景勝地の五色浜は,玉砂利の産地として,また海水浴場として知られる。
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洲本市中南部の旧市。大阪湾に面し,淡路島の行政・経済・交通の中心。1940年市制。人口3万8929(2005)。友ヶ島水道(紀淡海峡)に面する由良とともに古くから港町として発達し,1526年(大永6)安宅(あたぎ)治興が三熊山に洲本城を築いた。85年(天正13)羽柴秀吉によって脇坂安治が3万3000石で封ぜられてからは大阪湾に面する要港として重視され,1609年(慶長14)藤堂高虎,翌10年には池田輝政の三男忠雄が領した。15年(元和1)徳島藩主蜂須賀至鎮(よししげ)の治下に置かれ,31年(寛永8)以降徳島藩筆頭家老稲田氏が歴代城代として配置され,廃藩置県にいたった。洲本城は42年廃城となるが,城下町としての機能は存続し,藩政期を通じ淡路島の政治・経済の中心であった。1870年(明治3)稲田氏の家臣が淡路島の分離独立を策したことに端を発した庚午事変が起こり,兵庫県に属する遠因をつくった。明治以降,大阪,神戸との海運が栄え,島内交通の中心としての役割を果たしてきた。昭和に入って鐘淵紡績(のち鐘紡。現,クラシエホールディングス),第2次大戦後に三洋電機が進出して工業都市としての性格も帯びるに至った。しかし,近年は淡路島の人口の減少を反映して市の商工業は停滞気味で,海水浴や釣り,ヨットハーバー,鳴門観潮など海のレクリエーション都市への方向を目ざしている。市街は現在も石垣,堀,家並み,道路などに城下町の面影を残し,近郊には淡路三十三所第1霊場千光寺や淡路富士と呼ばれる先(せん)山がある。神戸淡路鳴門自動車道のインターチェンジがある。
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