洪深(読み)こうしん(英語表記)Hong Shen

精選版 日本国語大辞典 「洪深」の意味・読み・例文・類語

こう‐しん【洪深】

中国劇作家演出家江蘇常州の人。ハーバード大学卒。新劇運動に活躍し、また、中国最初トーキー映画製作。抗日戦中は戯劇工作に従い、人民政府成立後、国務院対外文化連絡局長となった。「洪深文集」四巻がある。(一八九三‐一九五五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洪深」の意味・わかりやすい解説

洪深
こうしん
Hong Shen

[生]光緒20(1894)
[没]1955
中国の劇作家,演出家。武進県 (江蘇省) の人。字は伯駿。 1916年清華大学を卒業,ハーバード大学に留学して演劇,文学を学んだ。 22年帰国,『趙閻 (ちょうえん) 王』を書き,みずから演出して好評を得た。その後,各地の大学で英文学の教授をしながら,欧陽予倩の「戯劇協社」,田漢の「南国社」などに参加して演出,翻訳に活動,のちみずから「復旦劇社」を組織,また映画監督として中国最初のトーキー映画を製作した。 30年左翼作家連盟に参加,『五奎橋』 (1930) ,『香稲米』 (31) ,『青竜潭』 (32) の農村を舞台とする3部作を書いた。抗日戦争中は救亡演劇隊長として各地区を巡回,解放後は対外文化連絡局長などの要職にあり,東ヨーロッパ諸国と文化協定を結ぶことに尽力。中国において,本格的に演劇を専攻した最初の一人として,大きな足跡を残した。著書『走私』 (36) ,『飛将軍』 (37) ,『現代戯劇導論』 (47) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「洪深」の意味・わかりやすい解説

洪深
こうしん / ホンシェン
(1894―1955)

中国の劇作家、演出家。江蘇(こうそ/チヤンスー)省常州(じょうしゅう/チャンチョウ)市出身。清華学校時代から聞一多(ぶんいった)らと学内の演劇活動に参加、のちハーバード大学などで作劇、演出、演技を学び、1922年帰国後は復旦大学ほかで英文学を講義すると同時に、戯劇協社などで演出を担当。抗日戦期は大学を辞し救亡演劇隊に参加、中華人民共和国成立後は対外文化連絡局長として国際文化交流を図った。代表作は、江南農民の悲惨な生活、封建勢力へのレジスタンスを反映した『五奎橋(ごけいきょう)』(1930)、『香稲米(じょうまい)』(1931)、『青竜潭(せいりゅうたん)』(1932)の農村三部作。『洪深文集』全4巻には演劇論が多数収載されている。中国映画にシナリオ制を確立させ、戯曲、演出を通じ男優女扮を廃止するなど、中国新劇の基礎を築いた功績は大きい。

[中野淳子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「洪深」の意味・わかりやすい解説

洪深 (こうしん)
Hóng Shēn
生没年:1894-1955

中国新劇の確立者。清華大学卒。1919年ハーバード大学で学び,オニールの影響もうけ,帰国後《趙閻王》で成功した。伝統劇にない脚本・演出の独立舞台美術整備を実践,さらに新劇,映画の理論や技術の教育に尽力し,中国の演劇の水準を高めた。30年代から田漢らと左翼演劇運動に参加,農村に取材した新劇,完備したシナリオ,トーキー映画,放送劇などを中国で最初に手がけた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android