津雲貝塚(読み)つくもかいづか

精選版 日本国語大辞典 「津雲貝塚」の意味・読み・例文・類語

つくも‐かいづか ‥かひづか【津雲貝塚】

岡山県笠岡市西大島字津雲に所在する縄文後期遺跡。一六〇体余の埋葬人骨出土し、縄文の葬制、習俗を示す貴重な資料を提示

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デジタル大辞泉 「津雲貝塚」の意味・読み・例文・類語

つくも‐かいづか〔‐かひづか〕【津雲貝塚】

岡山県笠岡市にある縄文時代後期の貝塚。160余体の人骨が出土し、大正13年(1924)清野謙次縄文人が現代日本人の直接の祖先であるという原日本人説を提唱。

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日本歴史地名大系 「津雲貝塚」の解説

津雲貝塚
つくもかいづか

[現在地名]笠岡市西大島

山裾の緩斜面にあり、貝塚形成当時は海面であった遺跡の前面は、西大島にしおおしま新田水田となっている。国指定史跡。貝塚の発見は明治三年(一八七〇)堤防工事によって土器貝殻・人骨などの出土をみたことに始まり、大正四年(一九一五)から相次いで調査され、一七〇体近い多数の人骨が発掘された。縄文時代の人骨がまとまって発見された初めての例であり、この多数の人骨によって日本石器時代人類の人類学的研究が本格的に推進された。

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改訂新版 世界大百科事典 「津雲貝塚」の意味・わかりやすい解説

津雲貝塚 (つくもかいづか)

岡山県笠岡市西大島字名切小字津雲にある縄文時代の遺跡。南面するゆるやかな傾斜地に残された貝塚で鹹水(かんすい)産の貝を出土する。この貝塚は大正年間以後,各研究者などによって,しばしば発掘されているが,とくに有名なのは1919,20年の清野謙次の発掘である。この貝塚の遺物包含層は,上部の貝層と下部の黒土層で,これらの各層から160余体の縄文人骨が発見されている。土器は縄文時代後晩期の各型式で,山内清男の編年による後期の津雲下層式,晩期の津雲上層式は学史的に著名である。後期の諸型式は現在では彦崎KⅠ式(津雲A式),中津式,福田KⅢ式などが主体とされている。土器以外の遺物としては装身具としての鹿角製玦状(けつじよう耳飾貝輪腰飾,石製丸玉がある。発見された人骨は屈葬で抜歯の風習を示すものが多く,乳児を入れた小児甕棺や埋葬後の焚火の痕跡などは,縄文時代の習俗を物語るものとして著名である。
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国指定史跡ガイド 「津雲貝塚」の解説

つくもかいづか【津雲貝塚】


岡山県笠岡市西大島にある貝塚遺跡。水島灘に近い南面する傾斜地にあり、範囲は南北約60m、東西約40m。縄文時代には笠岡市のこの辺りにまで海が入り込んでいたとされる。1870年(明治3)に堤防の工事中に人骨が発見され、1915年(大正4)から数次の発掘調査が行われた。縄文時代後期の標式土器など各期の遺物が出土し、なかでも注目を集めたのが約170体の縄文後・晩期の人骨の発見である。埋葬姿勢はほとんどが両手足を曲げた屈葬であった。人骨の頭は太陽が昇る北東から東南に向き、一定の規則性がうかがえる。また抜歯などの習俗があったこともわかった。貝輪や耳飾り、腰飾りなど各種の装身具をともなうものもみられる。乳児を埋葬した晩期の土器も発掘された。出土品には釣り針や石錘(せきすい)も多く、男性を主体とした漁労活動も盛んであったことがわかる。瀬戸内地方の代表的な縄文時代後期の貝塚として、1968年(昭和43)に国の史跡に指定された。出土品の一部は笠岡市立郷土館で見ることができる。JR山陽本線笠岡駅から井笠バス「大島小学校前」下車、徒歩約5分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「津雲貝塚」の意味・わかりやすい解説

津雲貝塚
つくもかいづか

岡山県笠岡(かさおか)市西大島津雲に所在する縄文時代後・晩期の貝塚遺跡。1915年(大正4)から1921年にかけて、清野謙次(きよのけんじ)、長谷部言人(はせべことんど)、大串菊太郎(おおぐしきくたろう)らが調査し、160余体の縄文後・晩期人骨が出土、清野の日本人種論を構築したことにより著名となった。沖積平野に南面する緩斜面に厚さ10~90センチメートルのハイガイを主とする貝層があり、貝層中とその下の黒土層から屈葬人骨が群をなして検出された。風習としての抜歯が盛行しており、成人の大多数は、上顎(じょうがく)犬歯2本を抜去したのち、下顎切歯4本または犬歯2本を抜去している。前者は女性に多く、後者は男性に多い。抜歯はさらに上顎の側切歯、第1小臼歯(きゅうし)、下顎の第1小臼歯まで及んでおり、最多14本抜去した例がある。人骨には、貝輪、鹿角(ろっかく)製腰飾り、同耳飾りを着装した例を含んでいる。国指定史跡。

[春成秀爾]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「津雲貝塚」の意味・わかりやすい解説

津雲貝塚
つくもかいづか

岡山県笠岡市西大島にある縄文時代後期の貝塚。 1919~21年に清野謙次らが発掘し,160体あまりの人骨を発見。土器,石器,鹿角製品,貝輪などの遺物が多量に出土した。人骨には抜歯の跡があるものが多く,それも思春期以後に行われていることから,成人式との関係が考えられ,縄文時代の風俗を知るうえに重要な資料となった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「津雲貝塚」の解説

津雲貝塚
つくもかいづか

岡山県笠岡市西大島にある縄文時代の貝塚。1915~20年(大正4~9)に20回近く発掘され,170体ほどの人骨が発見された。土器は早期から晩期にわたり,後・晩期が多い。後・晩期を主とする人骨は屈葬が大部分だが伸展葬もあり,成人骨には抜歯(ばっし)がみられる。人骨にともなって鹿角製腕飾,アカガイ製腕輪,鹿角製玦状(けつじょう)耳飾,鹿角製腰飾などが出土した。国史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「津雲貝塚」の解説

津雲貝塚
つくもかいづか

岡山県笠岡市西大島字津雲にある縄文時代後・晩期の貝塚
1915年以来の発掘調査により,160体以上の人骨が発見されている。大部分は屈葬で,抜歯の風習のあるものが多く,人骨に付属して,貝輪,鹿角製の耳飾・腰飾,石製頸飾も出土している。

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