精選版 日本国語大辞典 「津田宗及」の意味・読み・例文・類語
つだ‐そうきゅう【津田宗及】
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安土桃山時代の茶人。当時は〈そうぎゅう〉と呼ばれたらしい。千利休,今井宗久とともに天下三宗匠と称せられた。堺の会合衆(えごうしゆう)天王寺屋の惣領。父宗達の代に三好氏,本願寺に通じ,宗及に至って家業は発展した。しかし財閥特権商人としては今井宗久に圧せられ,茶匠としては千利休に一歩を譲る。初め隼人を称し,のち助五郎と名のるが,1566年(永禄9)より宗及と改称。更幽斎,天信と号す。また本願寺の門徒として法眼の称も得ている。宗及は父宗達より武野紹鷗の茶法を得て,和歌,連歌,挿花,聞香をよくし,道具類の目利きは当代随一といわれた。69年織田信長が堺に2万貫の矢銭を強要すると,時世の推移を見抜いた宗及は,一戦交えようとする強硬派を説得する穏健派にまわり,結局事なきを得た。やがて信長の茶頭(道)となって社会的地位を高め,信長没後は豊臣秀吉の茶頭となり,3000石を知行したという。有名な北野大茶湯では,利休とともに指導的役割を担った。宗達,宗及,宗凡3代にわたる《天王寺屋会記》は,《松屋会記》《今井宗久茶湯日記抜書》《宗湛日記》とともに四大茶会記といわれ,貴重な資料となっている。
執筆者:筒井 紘一
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(脇田修)
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?~1591.4.20
織豊期の堺の豪商・茶人。津田宗達の子。江月宗玩(こうげつそうがん)の父。屋号は天王寺屋。通称助五郎。父と同様に本願寺と関係が深かったが,1568年(永禄11)織田信長が堺に矢銭を課すと,信長と結ぶ道を選んだ。武野紹鴎(じょうおう)の弟子だった父から手ほどきをうけた茶の湯の技量と資力により,信長・豊臣秀吉に茶頭・政商として仕えた。今井宗久・千利休とともに三宗匠と称され,秀吉の北野大茶湯をつかさどった。武芸・蹴鞠(けまり)の道にも堪能で,参禅もした文化人。
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