洞爺丸台風(読み)とうやまるたいふう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「洞爺丸台風」の意味・わかりやすい解説

洞爺丸台風
とうやまるたいふう

1954年(昭和29)の第15号台風のこと。9月26~27日、西日本・北陸・北日本に風水害をもたらした。東シナ海を時速80キロメートルで北東進し、9月26日2時ごろ鹿児島県に上陸、その後も時速100キロメートルという猛スピードで九州中国地方日本海を北東進した。九州・中国地方の陸上を通ったにもかかわらず勢力を保ち続け、日本海ではむしろ発達した。台風による被害はこの猛烈な暴風によるものが多く、なかでも函館(はこだて)港沖で座礁転覆し乗客乗員1139人が死亡した洞爺丸をはじめ、計5隻の青函連絡船(せいかんれんらくせん)が沈没した。台風の名称はこの洞爺丸に由来する。全国の死者・行方不明者数は1761人であった。

 発達した台風が温帯低気圧に変わるとき、洞爺丸台風のように、加速しながら接近し、接近した後に速度を落とすという、当該地域(この場合は北海道)にとって防災対策がとりにくい速度変化をすることが少なくない。

 洞爺丸台風により、青函トンネル建設(1946年から地質調査は始まっていた)を急ごうという機運が急速に盛り上がった。中央気象台は従来の業務の抜本的な見直しを行い、1956年7月1日に運輸省の外局となり気象庁が誕生。また、洞爺丸台風の速度が異常に速かったとはいえ、状況を正確に伝える台風情報が発表できなかったことから、台風の進路予報の精度を上げるため、アメリカで開発されたばかりの数値予報(気温や気圧、風などを記述する多くの物理方程式を数値解析という手法で解き、将来を予測する方法)を導入し、日本初の大型計算機を1959年3月に稼動させた。その後も数値予報は日進月歩で進歩し、現在も台風予報に欠かせないものとなっている。

[饒村 曜]

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改訂新版 世界大百科事典 「洞爺丸台風」の意味・わかりやすい解説

洞爺丸台風 (とうやまるたいふう)

1954年9月25日早朝に台湾の東の海上で北東に向きを変え,ほとんど一直線に北東進した洞爺丸台風は,26日午前2時ころ大隅半島に上陸し,時速70~100kmというはやい速度で四国,中国を斜断して日本海に出,いくぶん勢力を強めて北海道西岸沿いを進み,夜半には稚内に達した。全国的に風水害,高潮害,塩害,波浪害,山崩れ,火災など各種の災害をひき起こし,死者・行方不明1761名,建物の全壊流失約8400戸,船舶被害1725隻に達した。被害は全国のほとんどの地域に及んだが中国,四国の風水害が著しく,また青函連絡船洞爺丸(総トン数4337トン)が約1300人の乗客を乗せたまま函館港内で転覆し,1155人が死亡する日本海難史上最大の惨事を起こした。また第11青函丸,北見丸,十勝丸,日高丸の4隻の青函連絡船も沈没した。北海道岩内郡岩内町では大火が発生し,32万1311m2,約3300戸が焼失した。台風が日本海へ抜けるころに温帯低気圧の発達域に入って再発達することの恐ろしさを示した台風であった。
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百科事典マイペディア 「洞爺丸台風」の意味・わかりやすい解説

洞爺丸台風【とうやまるたいふう】

1954年9月26〜27日の15号台風。九州に上陸,いったん日本海に抜けたが,ふたたび発達し,北海道の西側を北東に進んだ。函館港外で青函連絡船洞爺丸(4337総トン)が転覆し,死者・行方不明者1155人という日本最大の海難事故を起こし,また北海道岩内町でフェーンによる大火を発生した(焼失家屋約3300戸)。
→関連項目青函連絡船野幌原始林

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デジタル大辞泉プラス 「洞爺丸台風」の解説

洞爺丸台風

1954年9月に発生した台風15号のこと。国際名は「マリー(Marie)」。9月26日に九州に上陸したのち、中国地方、日本海を進み、北海道で特に大きな被害をもたらした。名称は、この台風により函館港沖で座礁・転覆し、乗客乗員1139名が死亡した青函連絡船の洞爺丸に由来する。

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