洋風画(読み)ヨウフウガ

デジタル大辞泉 「洋風画」の意味・読み・例文・類語

ようふう‐が〔ヤウフウグワ〕【洋風画】

桃山時代江戸時代西洋画の影響を受けて描かれた絵画。

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精選版 日本国語大辞典 「洋風画」の意味・読み・例文・類語

ようふう‐が ヤウフウグヮ【洋風画】

〘名〙 桃山時代と江戸時代に、西洋画の画法を取り入れて描かれた絵画。大きく、江戸前期までの第一期と、江戸中期から後期までの第二期に分けられる。明治以降は洋画と呼んで区別する。

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改訂新版 世界大百科事典 「洋風画」の意味・わかりやすい解説

洋風画 (ようふうが)

明治以前の日本で西洋画法に基づいて描かれた絵画。南蛮屛風長崎版画のように,西洋の人物や商船を主題としても,在来の伝統的画法によるものはこのなかに含まれない。逆に東洋的主題や日本の風景,人物を扱い,材料として紙,絹や日本絵具を使っていても,陰影法と透視遠近法のような西洋画の視点に基づく絵画は,洋風画といえる。また明治以後に,本格的な西洋画法によって描かれた日本絵画は,ふつう洋画と呼んで区別している。

 洋風画の展開は前後の2期に分かれる。第1期洋風画は16世紀末(桃山時代)に,キリスト教の伝播とともに誕生した。当時伝わったキリスト教はカトリックであったから,多数の聖画を必要としたが,信者数の増大とともにそれが輸入品だけでは不足するようになった。そこで,当時日本布教にあたっていたイエズス会では,その宗教教育施設であるセミナリヨにおいて,日本人の洋風画家を養成することにした。主として指導を担当したのは,1583年(天正11)に来朝したジョバンニ・ニコラオGiovanni Nicolaoという聖職者の画家である。この絵画教育と聖画制作は16世紀末には軌道に乗り,数多くの日本製の聖画が普及するようになった。その作品はのちのキリスト教迫害のためほとんど消滅したが,洋風画家たちが当時の異国趣味にこたえて描いた世俗画は,今日でも相当数の遺品がある。それらは主題によりほぼ3群に大別され,(1)西洋王侯の宮廷生活,甲冑姿の出陣影,およびこれらの王侯の指揮するキリスト教国軍とイスラム教国軍との戦闘を表したもの,(2)西洋諸国の都市とその風俗を主題としたもの,(3)騎士,貴婦人羊飼い,司祭などの郊外遊楽の情景を描いたものである。これらの世俗画は当時の鑑賞画の常として,屛風に描かれることが多く,顔料も在来の日本のものを使用し,溶液にわずかに油の混入が認められる程度である。また,制作のもとになった西洋原画はたいてい油絵ではなく銅版画であったようであるが,当時の洋風画家はよく西洋の油絵の趣に迫る鑑賞価値の高い作品を描いた。しかし,洋風画家たちは元来聖画制作のための模写技術家として養成されたため,西洋画法そのものの摂取やそれに基づく東洋的あるいは日本的題材の開発には熱心でなかった。また桃山時代の日本には,舶来の新画法に興味をもつような知的な態度がまだ育っていなかった。そして,第1期洋風画は1614年(慶長19)以降の厳しいキリスト教禁圧と1639年(寛永16)の鎖国のために発展の芽をつみとられ,同時代の一般画壇にほとんど影響を及ぼさずに衰滅した。

 第2期洋風画は江戸後期における実証主義的な思潮および蘭学洋学)の勃興を母胎として発生した。初期の蘭学者はオランダ図書の精密な挿絵を見て,オランダ語の学習や西洋自然科学研究の必要性を痛感したが,それと似た態度は同時代に洋風画に志した人々にも認められる。彼らは西洋図書の挿絵や銅版画の迫真的表現に魅せられ,西洋画が写実性にすぐれることを痛感し,陰影法や透視遠近法のような合理的なものの見方を摂取しようとした。第2期洋風画は鎖国体制下に生まれたから,外人教師の指導も得られなかったし,18~19世紀の西欧絵画の主流とも無関係であった。また西洋画法を学ぶにも輸入銅版画を模写し,西洋画法書の挿絵により透視遠近法や陰影法を学ぶという前近代的手段によった。しかし,この期の洋風画家は蘭学と密接な関係をもっていただけに理論意識が強く,西洋画を伝統的絵画と対立する新画法の源泉と考え,その画法を摂取して在来の東洋画にはない正確な描写技術を獲得しようとした。したがって,彼らにとって西洋原画の模写はおもに画法習得のためであり,第1期の洋風画家のように目的そのものではなかった。西洋画研究の材料となった図書や版画は長崎を通じて輸入されたが,第2期洋風画の主流はむしろ新興文化の中心である江戸にあり,この地には18世紀後半以後,秋田蘭画小田野直武佐竹曙山(義敦),また司馬江漢亜欧堂田善,そして安田雷洲らの洋風画家があいついで登場した。秋田蘭画は和洋折衷の作風を示し,油絵や銅版画を作らなかったが,司馬江漢以後の人々はこれらの新技術を駆使して,多くの洋風画を制作した。彼らは西洋原画を模写した作品も遺したが,その特色はむしろ西洋画法を用いて,日本の風景や風俗の描写を積極的におこなったことにある。これに対し,当時の唯一の開港地である長崎においては,洋風画制作は江戸に遅れる傾向にあった。しかし,18世紀末に若杉五十八(いそはち),ついで荒木如元が出て,当時としてはもっとも本格的な麻布油彩の洋風画を制作した。もっとも,幕末最末期の川原慶賀の場合を除くと,彼らには日本の風景や人物を描いた洋風画がなく,ほとんど輸入西洋画の模写に終始したし,慶賀の風景,動植物,人物の描写にしても,彼に先立つ江戸系洋風画を越えるものとはいいがたい。また,長崎の洋風画家は一般に理論意識にとぼしかったから,江戸の司馬江漢のように西洋画論を書くことはなかったし,また幕末までエッチングを生みだしえなかった。

 一般に,洋風画はこの第2期においてそれを担った人々にはじめて東洋画とは異質の方法として明瞭に意識されたといえる。この期の洋風画,ことに江戸系洋風画が鎖国体制下に生まれたにもかかわらず,また蘭学という美術界から遠い文化現象を母胎として誕生したのにもかかわらず,一応の画壇的な発展を示したのはその意識によってである。また第1期の場合とはちがって,第2期洋風画が写生画派,浮世絵版画,一部の南画などに相当の影響を及ぼしたのも,そのためである。
長崎派 →南蛮美術
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洋風画」の意味・わかりやすい解説

洋風画
ようふうが

西洋画法により描かれた近代以前の日本絵画。洋人や洋船を主題としていても、東洋画法によるものは含まない。逆に東洋的主題や日本風景、風俗を扱い、紙、絹や日本絵の具を用いても、西洋画法の視点に基づく絵画は洋風画である。洋風画は前期(桃山~江戸前期)、後期(江戸後期)の二期に分けられる。そして、かつては第一期洋風画を南蛮絵(なんばんえ)、第二期洋風画を紅毛画(こうもうが)、オランダ絵(阿蘭陀絵、和蘭陀絵、和蘭絵)、および蘭画(らんが)などといった。

 第一期洋風画の母胎は、近世初期におけるキリスト教の伝播(でんぱ)である。当時日本布教にあたっていたイエズス会では、輸入キリスト教聖画の不足を補うために、その宗教教育施設において、信者の日本人学生に西洋銅版画などを模写させ、聖画を制作させた。このため、1590年代の初めには多くの日本製聖画が世に出るようになったが、その後のキリスト教厳禁と鎖国のため、第一期洋風画は17世紀末までに衰滅した。それは日本で生まれたが、教会の布教政策の一環として形成され、外人聖職者の指導もあったから、西欧絵画の直系に属する。近世初期に描かれた聖画は、ほとんど破壊焼却されてしまったが、わずかの現存遺品をみると、肉筆画、銅版画とも、輸入原画をかなり巧みに模写したことがわかる。一方、聖画以外に世俗画も当時の南蛮趣味にこたえるため、あるいはヨーロッパの勢威と文化を示すために制作された。これらはキリスト教絵画でないため、相当数の遺品があり、西洋王侯の像、キリスト教国軍とイスラム軍の戦闘、世界の都市と風俗、洋人郊外遊楽の情景などの主題がある。これらもやはり輸入原画を写しているが、宗教画ほど図像上の制約がないため、画家たちは作品ごとに原画をすこしずつ変えて変化をつけている。また、第一期洋風画の世俗画は、他の近世初期の鑑賞画と同様に、多く屏風(びょうぶ)絵であるため、原画を横に伸ばしたり、つないだりしている例がある。しかし、世俗画も基本的には模写画であり、西洋画特有の視点に関心が薄く、制作期間も短かったため、同時代の画壇に刺激を与えずに終わった。第一期洋風画の衰滅後の江戸中期にも、多少の洋風表現の試みはあったが、それらについては省略する。

 第二期洋風画は、江戸中期以後の蘭学の発達に基づいて生まれた。初期の蘭学者は洋書の精密な挿絵をみて、西洋自然科学研究の必要性を痛感したが、同時期の洋風画家も、洋書の挿絵の迫真的表現に魅せられ、西洋画が写実性に勝ることを知り、陰影法や遠近法のような合理的視点を体得しようとした。この期の洋風画は鎖国体制下に生まれたから、まず、外人の指導は得られなかったし、18、9世紀の西欧絵画の主流とも無関係であった。また、西洋画法を学ぶにも、輸入の銅版画や図書の挿絵を写すという前近代的手段をとった。しかし、この期の洋風画家は、なによりも西洋画の写実性に関心を寄せ、西洋画法を伝統的画法に対立するものとして摂取しようとした。そのため、西洋原画の模写は彼らにとりおもに画法習得のためであって、第一期洋風画家のように目的自体ではなかった。当時、西洋画研究に用いる図書や銅版画はもちろん長崎を通じて輸入された。しかし、長崎の洋風画は、文化の中心である江戸より遅く生まれ、しかも技術は優れていても西洋の模写画が多かった。一方、知識階級の多い江戸では洋風画は大いに発達し、1770年代に秋田蘭画、ついで司馬江漢(しばこうかん)や亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)らが出た。江戸系洋風画は西洋原画の模写ばかりでなく、在来の伝統的画題の洋風画化、日本の風景や風俗の描写に相当の業績をあげた。それが明治以後の近代洋画の直接の祖先ではなかったとしても、同時代の一部の南画や写生画、北斎(ほくさい)や広重(ひろしげ)の風景版画にかなりの影響を及ぼしたのは、なんといってもそれが西洋画法そのものの摂取に熱心であり、東洋的あるいは日本的題材を開拓したからである。

[成瀬不二雄]

『坂本満他著『原色日本の美術25 南蛮美術と洋風画』(1970・小学館)』

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百科事典マイペディア 「洋風画」の意味・わかりやすい解説

洋風画【ようふうが】

江戸後期に西洋画法にならって描かれた絵画の総称。中国の洋風画を媒介とした浮絵(うきえ)や眼鏡絵(めがねえ)などに始まり,蘭学の興隆とともに蘭書やオランダ銅版画などに学んだ本格的な油絵や銅版画が制作された。平賀源内司馬江漢亜欧堂田善らの江戸で活躍した画家のほか秋田派長崎派など特色のある地方画派を形成。なお桃山〜江戸初期の南蛮美術を含めていうこともある。
→関連項目小田野直武佐竹曙山若杉五十八

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洋風画」の意味・わかりやすい解説

洋風画
ようふうが

西洋画の影響を受けて桃山,江戸時代に日本で描かれた絵画で,2期に分けられる。第1期洋風画 (南蛮絵 ) はキリスト教伝来に伴ってイエズス会のセミナリオ,コレジヨなどの機関を中心に,聖画制作を目的として桃山時代以降発生。世俗画にも及んだが,鎖国令やキリスト教禁圧とともに消滅した。代表作に『泰西王侯騎馬図屏風』などがある。第2期洋風画 (紅毛画 ) は江戸時代中期以降,蘭学と密接な関係のもとに展開。南蛮絵に比し理論的関心の強いことが特徴。平賀源内,小田野直武,佐竹曙山らの秋田系,司馬江漢らの江戸系,荒木如元らの長崎系,さらに亜欧堂田善らの須賀川系が銅版画や写生画に活躍した。第1期洋風画が伝統的絵画にほとんど影響を与えなかったのに対し,第2期洋風画は浮世絵や写生派など同時代の絵画に大きな影響を与えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「洋風画」の解説

洋風画
ようふうが

明治期以前の日本で,西洋画法にもとづいて描かれた絵画作品。油絵とは限らない。早く桃山時代に,イエズス会のもとで,西洋の画を模写しながら聖画を制作した初期洋風画があったが中絶。江戸時代後半に至り,写実性にすぐれた西洋の画法やものの見方をとりいれ,西洋画法を用いて日本の風景や風俗の描写を行った洋風画が成立した。佐竹曙山(しょざん)や小田野直武(おだのなおたけ)らの秋田蘭画に続き,司馬江漢(しばこうかん)や亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)らがすぐれた洋風画を描いた。

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世界大百科事典(旧版)内の洋風画の言及

【銅版画】より

…H.コック未亡人から原版を買い受けるなどして二十数台の印刷機を擁するヨーロッパ最大の出版業を営んだのはC.プランタンであり,彼は当時最盛期にあったスペイン植民地における教会用印刷物供給の独占権をフェリペ2世から得た。日本のイエズス会系洋風画(16世紀)の原型の大部分がアントワープ製版画に基づくのも,上記のことと無関係ではない。このような版画の普及はコルトの例のように,その表現力,再現力の拡充に基づいている。…

【長崎派】より

…長崎に来航する中国商船の乗員には,当時中国で流行していた南宗画をよくする者が多かったが,当時の日本の画人はまだ中国の南宗画に接する機会が少なく,彼らの影響により,池大雅や与謝蕪村らの日本南画が興った。(5)洋風画派は,長崎では18世紀末ころにはじまり,オランダから伝わった西洋画法を学んで,若杉五十八荒木如元は当時としては本格的な麻布油彩の西洋風俗図を描いた。しかし長崎の洋風画家は司馬江漢ら江戸系の人びとほど西洋画法の摂取に熱心でなく,幕末最末期の川原慶賀を除くと日本的題材の洋風表現はあまり発達しなかった。…

【南蛮美術】より

…南蛮美術は桃山時代を中心に開花したが,寛永年間(1624‐44)に実施されたキリスト教禁止政策と鎖国のためにしだいに衰滅に向かった。内容は洋風画,南蛮屛風などの絵画,漆器,陶器,染織,金工などの工芸品からなる。 洋風画は16世紀後期のキリスト教伝播とともに発足した。…

※「洋風画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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