法成寺跡(読み)ほうじようじあと

日本歴史地名大系 「法成寺跡」の解説

法成寺跡
ほうじようじあと

藤原道長の建立した摂関政治期最大の寺院。現存しない。寺域は無量寿院供養願文(扶桑略記)に「鳳城東郊、鴨河西畔」、「栄花物語」に「東の大門に立ちて、東の方をみれば、水の面のまもなく、筏をさして、多くのくれ材木をもて運ぶ」、「小右記」寛仁三年(一〇一九)七月一七日条に「京極東辺」、「阿裟縛抄」に「近衛北、京極東」などとあり、東はかも川、西は東京極(現京都御苑東側)、南は近衛(現荒神口通)となる。現在の荒神口こうじんぐち通以北、京都御苑以東の東西二町・南北三町の地(京都市上京区)に比定される(ただし最初の寺域は方二町)。「栄花物語」によれば惣囲いの垣根をめぐらしていた。栄華の絶頂期にあった道長は脳病に苦しみ、寛仁三年三月二一日に出家、同年七月一六日、彼の土御門つちみかど(現上京区)の東、鴨川畔に中河御堂(無量寿院)の造営を始めた。阿弥陀堂をはじめ十斎堂・西北院・金堂・五大堂・薬師堂・釈迦堂・東北院など、堂宇の次々と造営されていく様は、「栄花物語」に華麗に描かれる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔阿弥陀堂〕

法成寺の中心伽藍で、無量寿むりようじゆ院と名付けられた。寛仁三年七月の発願以来工事は急速に進められ、道長は受領一人に一間ずつの造営を分担させ、翌年一月一九日に上棟、二月に仏壇が築かれた。「左経記」二月一五日条は「午後参中河御堂、入道(道長)殿、并関白(頼通)殿已下諸上達部、殿上人、僧綱、諸大夫、并六位已上、兼又雑人雑女、同心合力、或持土、或運木、□各築御堂仏壇、晩景帰宅」と記す。さらに二月二〇日に鋳鐘、同月二七日に九体阿弥陀像、観音・勢至各一体の遷仏の儀があった(同書)。阿弥陀堂は法成寺内の西寄りにあり、東を正面とする一一間の南北に細長い建物で(「小右記」寛仁三年七月一七日条など)、藤原行成筆「無量寿院」の扁額が掲げられた(「不知記」堂供養記)。堂内には金色丈六阿弥陀像九体・脇侍観音勢至両大士各一体・彩色四天王像各一体が安置された(「扶桑略記」同四年三月三日条)。「栄花物語」の「たまのうてな」は次のように記す。

<資料は省略されています>

三月一八日に先鋳の鐘の鋳直し、そして二〇日に試楽があり、二二日には御斎会に準じ、太皇太后皇太后・中宮が参加して落慶供養が盛大に営まれた。請僧は、大僧正済信・深覚・院源をはじめ一六〇口を数えた(左経記・日本紀略)。阿弥陀堂は万寿二年(一〇二五)一〇月二五日に改建のため阿弥陀像九体を新造西堂に移渡したとの記事が「小右記」にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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