法哲学(読み)ほうてつがく

精選版 日本国語大辞典 「法哲学」の意味・読み・例文・類語

ほう‐てつがく ハフ‥【法哲学】

〘名〙 法および法現象の哲学的考察を行なう学問。法の基礎概念の分析や法の存立の根拠、法世界の構造・性質、他の文化領域との関連、法の究極価値などの考察を基本的な任務とする。法律哲学。法理学。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「法哲学」の意味・読み・例文・類語

ほう‐てつがく〔ハフ‐〕【法哲学】

法の理想・理念・本質などを明らかにして、法の究極にあるものを考察する学問。法理学。法律哲学。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「法哲学」の意味・わかりやすい解説

法哲学 (ほうてつがく)

哲学(倫理学および社会哲学の一部を含む)と法学との双方にまたがる学科。〈法(律)哲学〉という表現はドイツ語のRechtsphilosophieに由来する。イギリスにおいては,19世紀中葉以来,法に関する理論的な研究がjurisprudence(〈法理学〉)という名称のもとに行われてきた。J.オースティンH.J.S.メーンを祖とする法理学の伝統は,アメリカにおいても,20世紀の初頭以来,R.パウンドなどによって受け継がれてきた。ドイツ(およびオーストリア,フランス,イタリアなど)における法哲学とイギリス,アメリカにおける法理学とは,共通の要素を含みながらも,その問題意識や探究の態度において,ニュアンスの異なる学問であった。両者の差異は,当然,人文・社会科学における欧州系の伝統とアングロ・サクソン系の学風との相違に基づくものであったが,それに加えて〈大陸法系〉(または〈ローマ法系〉)および〈英米法系〉(または〈コモン・ロー系〉)という,法体制上の違いがその背後にあったことも,また否定することはできない。

 第2次大戦後,文化的な国際交流の結果,欧州系およびアングロ・サクソン系という二つの学問伝統の間で活発なフィードバックと相互接近が生じた。今日では,英米文化圏でも〈法哲学philosophy of law〉という表現が用いられるようになり,この学問の内容・領域についても,国際的な合意が成立しているといってよいであろう。では,このような背景をもつ法哲学とは,どのような学問であろうか。現代法哲学は次の三つの主要部門から成っている。(1)正義の理論,(2)法および法学の諸問題に関する論理分析,(3)法の歴史哲学(なお,ソ連および東欧諸国においては,〈法と国家の理論〉と呼ばれる学問分野が西側諸国でいうところの法哲学を包含している)。

この部門においては,すでに古代からインド,中国,バビロニアイスラエルなどにおいて,哲学的な思索が行われた。西洋における正義の理論は,紀元前5世紀のギリシア人,とくにアテナイで活躍したソフィストたちによって根本的に新しい展開を遂げた。ソフィストたちは,単にある行為が,たとえば,獄中で毒杯を仰いで従容(しようよう)として死についたソクラテスの行為が,〈正しい〉かどうか(これを行為レベルの〈正義論〉と呼んでもよい),またある制度,たとえば奴隷制,が正しいかどうか(〈制度レベルの正義論〉)という問題を論じたばかりでなく,さらに一歩を進めて,ある行為やある制度が〈正しい〉と人々が判断するとき,その判断の〈正しさ〉の判定のための客観的な基準が果たして存在するか否かを正面から論じたのである。こうして,ある行為やある制度が正義にかなっているかどうかという問題だけでなく,〈正義とは何か〉ということが問われたのである。

 このようにみてくると,正義の理論には,行為,制度,基準という,三つのレベルが存在することがわかる。ある行為の正・不正についての問題意識は未開社会(そしておそらく先史社会)においても認められる--少なくとも言語が存在するかぎりにおいて。しかし,こうした原始社会においては,社会の諸制度は慣習やタブーによって護持されており,その〈正しさ〉を批判的に吟味することは心理的に困難であったと思われる。制度レベルの正義論に正面から挑戦したのが上記のソフィストたちであったが,この企ては,必然的に,基準レベルの正義論の基本問題へ導いたのである。

 現代倫理学の分類用語を用いるならば,行為レベルおよび制度レベルの正義論はともに〈規範的〉正義論に,そして基準レベルの正義論は〈メタ〉正義論に,それぞれ帰属する。メタ正義論の最も基本的な問題は,ある行為または制度(または制度複合体としての体制)の〈正しさ〉のための客観的な基準があるか否か,という問題である。この問題に関しては,〈客観的な基準が存在する〉と説く客観説と,〈そのような基準はない〉と主張する主観説とが対立する。

西洋思想史において,客観説の萌芽はすでにプラトンアリストテレスにみられるが,客観説に明確な形を与えたのは,ストア学派であった。ストアによれば,〈宇宙の理法〉が善悪の判断に対して,そして正邪の判断に対しても,基準を与えてくれる。ストアの客観主義的正義論は,紀元前1世紀後半ごろ,ローマ法における〈万民法〉の思想とも融合して,〈自然法論〉を形成し,後世の思想に大きな影響を与えた。自然法論によれば,人為によらず,自然または神の与えた法,すなわち〈自然法〉,というものが存在し,それが人間の作った法律・制度や人間の行為の正しさの判定基準となる。自然法論は中世末期のスコラ哲学においても一つの完成した姿に達した(とくにトマス・アクイナスの教説)。近世の法思想においても自然法の観念は大きな役割を果たした。オランダH.グロティウス,イギリスのT.ホッブズJ.ロック,ドイツのS.プーフェンドルフなどの法哲学上の著作においては,自然法論が中心テーマとなっている。現代においても,新トマス主義の自然法論は多くの論者によって支持されている。

正義論上の客観主義に対立する主観主義は,すでに紀元前5世紀の若干のソフィストに見られたところであるが,この立場は,20世紀初頭以来,〈価値相対主義〉という形で主張されてきた。この考え方によれば,あることの善悪・正邪についての評価を表す文は,経験的な真理または数学的・論理学的な真理を表す文とは異なって,〈判断〉を表す命題ではない--または〈真理値〉をもたない--と考えられる。すなわち,いわゆる価値判断は,厳密な意味での判断ではなく,話者・筆者の主観的な信念にほかならない,とされるのである。価値相対主義を代表する思想家としては,B.A.W.ラッセルG.ラートブルフH.ケルゼンなどの名をあげることができる。ちなみに,この3人が,それぞれ独自の立場から,西欧型の議会民主制の〈価値相対主義による正当化〉を試みたことは注目に値する。

 以上,主として〈メタ理論〉としての正義論について述べた。では,ある制度や体制が正しいかどうかを論ずる正義論,すなわち,規範的正義論のほうはどうであろうか。古代以来西洋の正義論の主流をなしてきた自然法論は,メタ理論レベルでの主張を含むと同時に,規範理論の面でも,〈正しい〉法,〈正しい社会体制〉についても多彩な内容を有していた。たとえば,グロティウスは,自然法論を展開することを通じて,〈戦争と平和の法〉を構想し,〈国際法の父〉と呼ばれた。ロックは,〈自然状態〉および社会契約という二つの思想を結合することによって,独自の自然権(いわゆる〈天賦人権〉)の教説を立てて〈王権神授説〉を批判すると同時に,名誉革命(1688)の立憲主義の理論を提供した。ロックの同国人ベンサムは,功利主義の立場から自由主義の理論を構築し,J.S.ミルその他の思想にも大きな影響を及ぼした。

 20世紀に入ってからも,規範的正義論の分野でも多くの文献が公刊されたが,最近の業績の中でとくに注目を集めているのは,J.ロールズの貢献である。《正義の理論》に集約されたロールズの見解は,イギリス,アメリカの功利主義の伝統を批判しつつ,社会契約論の再構成によって,〈公正さ〉の基準を探求する試みであり,思想的には平等主義を基調としている。

立法,裁判,行政においても,法学においても,〈法〉〈権利〉〈義務〉〈国家〉〈法人〉などの表現が用いられる。このような基礎用語の分析や定義をもって〈法理学〉の第1の課題と考えたのは,イギリスのJ.オースティンであった(この分野の先駆者としては,ベンサムがとくに重要である)。19世紀後半のドイツにおける〈一般法学〉,ケルゼンの〈純粋法学〉も,また第2次大戦後のイギリスで興った〈新しい分析法理学〉(その代表者は,H.L.A.ハートである)も,法の基礎用語の分析・定義に意を用いた。この部門の中でもとくに中心的な問題は,〈法の定義〉の問題(あるいは〈法の本質〉の問題)である。

法の本質の問題は,古来,いろいろな形で論議されてきた。〈悪法も法なり〉という格言に対して,不正な法は,まさにそのゆえをもって,〈法ではない〉という主張が多くの論者(とくにあるタイプの自然法論者)によって唱えられてきた。換言すれば,〈正しさ〉または〈正義〉という性質が法(ここでは〈自然法〉と区別された意味での〈実定法〉)の〈本質的〉な要素(または〈契機〉)であるか否かが問われたのである。法の〈本質要素〉としては,〈正しさ〉のほか,〈強制〉〈規範的性格〉などが問題となった。〈法の本質〉についての論議には,ほかの〈本質問題〉の場合と同じく,プラトン以来の〈エッセンシャリズム〉(〈本質主義〉)の影響が見られる。伝統的な論理学の用語を借りるならば,〈法の本質〉の問題は,〈名辞定義〉ではなく〈事物定義〉に関するものである,と考えられてきた。ある事物の〈正しい〉定義を与えるためには,その事物の諸性質の中から,〈偶有的〉なものと〈本質的〉なものとを明晰に区別したうえで,後者によって定義を構成することが必要である,とされた。しかし,いかなる基準をもってこの区別を行うことができるかについては,ついに定説が得られなかった。

 〈事物定義〉の理論そのものが混乱に基づいていたことは,すでにJ.S.ミルが指摘したところであり,R.カルナップやC.G.ヘンペルが,独自の論理分析を通して,明快に示したところである。

 〈法の本質〉についての伝統的な問題は,約言すれば,カルナップのいわゆる〈エクスプリケーション〉(学術用語の自覚的でかつ精密な再定義)の問題として再解釈すべきであろう。この立場から見れば,現状においては,〈法〉の概念について与えられた定義が,主として学術上の観点から,相対的にどの程度〈適切〉であるか,を論ずる以上のことは望めないであろう。〈法〉という語をいかに定義すべきかという問題をめぐって,異常なほどの情熱が数世紀にわたって傾注されたのは,なぜであろうか。この問いに対する一つの鍵は,〈説得定義〉に関するC.L.スティーブンソンの理論に求められる。この理論によれば,〈文化〉〈商品の価値〉〈社会主義〉その他の表現はいずれも〈情緒意味〉を強く帯びており,その定義の名のもとに,実践的(政治的,宗教的,倫理的)な説得が黙秘裡(り)に行われうる。〈法の本質〉をめぐる伝統的な論争文献もこの見地からの再検討を要するように思われる。

 法哲学の論理分析面でのもう一つの課題は,法学および法実践(とくに裁判)に関する方法論である。イギリスにおいては法律教育が古くからインズ・オブ・コート(法曹院)によって行われてきたために,〈法学〉(ドイツ語のRechtswissenschaft)に相当する観念は比較的近年まで存在しなかった(半面,逆説的にいえば,〈実学としての法学〉の観念が欠けていたがゆえに,イギリスでは〈虚学としての法理学〉がすでに1830年代に始まった,とみることもできる)。アメリカでは,19世紀後半から,大学のロー・スクールで法律教育が行われるようになったが,その内容はやはり実務志向であり,〈法学〉の観念とは近年まで結びつかなかった。ドイツ,オーストリア,フランス,イタリアその他のヨーロッパ大陸諸国では,〈ローマ法の継受〉を背景として,大学において法学(とくにローマ法と教会法の知識)を修めた者が法実務において重用されるという伝統が,近世初頭以降,しだいに生じてきた。19世紀のドイツ民法学(いわゆるパンデクテン法学)はこの発展の頂点を成すものであるが,奇しくも,パンデクテン法学者として名声の高かったR.vonイェーリングが,それまでのドイツ法学を〈概念法学〉と呼んでこれを批判し,社会の実情に即した利益衡量が法学にとって不可欠であることを示した。

 イェーリングの影響のもとに20世紀の初頭にドイツ,フランス,オーストリアなどで興った自由法論は,実定法学および裁判における〈理論構成〉その他の知的作業の心理学的および認識論的な解明を試みた。ちょうど同じころ,哲学上の〈西南ドイツ学派〉(とくにH.リッケルト)が認識と価値判断との関係についての研究を行ったことも,法学における方法論上の探求・反省に大きく寄与した。この探求の結果,実定法学上の〈学説〉が,多くの場合,認識と評価との両側面をもつものであることが明らかとなった(ちなみに,日本においても,1953年ころから数年間同様の問題群について,〈法解釈論争〉が行われた)。

 裁判についての方法論的な反省は制定法主義に立脚していたヨーロッパ大陸諸国だけでなく,判例法主義のアメリカにおいても行われた。〈法のルールからの論理的演繹〉を偏重した20世紀初頭の通説に対して,裁判における〈経験〉と評価との役割を早い時期に力説したのは,O.W.ホームズであった。1930年ごろから興ったリアリズム法学は,やや矯激な形で,法の運用における論理信仰を攻撃した。裁判その他における〈法的推論〉の諸問題は,第2次大戦後のイギリスの新分析法理学の流れに属する諸学者によって,精密に論議されてきた。この学派の哲学上の源泉の一つとして,〈発話行為〉の重層性に関するJ.L.オースティンの分析があった。

ヘーゲルは独自の歴史哲学を構築したが,彼の影響の下で〈法の普遍史〉の概観を試みた人々の中でとくに重要なのはドイツのコーラーJoseph Kohler(1849-1919)である。コーラーのこの分野での業績は一面において民族学,人類学,法史学への傾きを示しており,モンテスキューの《法の精神》,メーンの《古代法論》などとともに,文化人類学,法社会学の先駆的文献とされている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法哲学」の意味・わかりやすい解説

法哲学
ほうてつがく
Rechtsphilosophie; legal philosophy; jurisprudence

法に関する原理的・基本的問題を研究する学問分野。研究対象の面からいえば広義の法学の一分野であり,研究方法の面からみれば哲学の一特殊分野に属する学問。法律哲学,法理学とも呼ばれる。ギリシア時代のソフィストたちに始り,19世紀のカントおよびヘーゲルの法哲学にいたるまでは,政治学,倫理学,哲学,神学の一分野とみなされていたが,ドイツの一般法学が転換の契機となり,法解釈学者が固有の法哲学の確立を目指した。 20世紀に入って新カント学派の R.シュタムラーの批判的法哲学が現代法哲学隆盛の先駆的役割を果し,現在では,哲学の動向に歩調を合せて多彩な様相を呈している。その主要な課題としては,法の概念規定,法学上の諸概念,諸原理の検討,法の理念,正義に関する考察 (法価値論) ,法学方法論などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「法哲学」の意味・わかりやすい解説

法哲学【ほうてつがく】

法の本質・目的・理念や法学の方法などを考究する学問。法理学とも。正義とは何か,国家とは何か,悪法も法であるか,道徳と法,法と強制,自然法思想,法規範と事実の関係,法と言語などを対象とする。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android