泉南市(読み)センナンシ

デジタル大辞泉 「泉南市」の意味・読み・例文・類語

せんなん‐し【泉南市】

泉南

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日本歴史地名大系 「泉南市」の解説

泉南市
せんなんし

面積:四四・四九平方キロ

府の南西部に位置し、北東端で泉南郡田尻たじり町と接し、東は泉佐野市、南は和歌山那賀なが打田うちだ町および同郡岩出いわで町、西は泉南郡阪南はんなん町と接する。北西側は大阪湾に臨む。市域の南部は和泉山脈およびそれに連なる丘陵地帯で、北部に平地が広がる。和泉山脈中から流出した金熊寺きんゆうじ川が市域の西部を北西流し阪南町境で男里おのさと川となり大阪湾に注ぎ、東部は新家しんげ川が北流し樫井かしい川に合流、市内岡田おかだで大阪湾に注ぐ。昭和四五年(一九七〇)泉南町の町域そのままで市制を布き、市名も町名を引継いだ。

〔原始・古代〕

市域から弥生時代以前の遺物はほとんど検出されていないが、新家から有舌尖頭器が出土し一万―一万三千年以前のものと推定されている。弥生時代に入ると男里遺跡・新家しんげオドリやま遺跡・向井山むかいやま遺跡などが確認されている。男里遺跡は中世にまで及ぶ複合遺跡で製塩土器も発見されている。また向井山遺跡も古代に及ぶ複合遺跡で溝状遺構・石積遺構が確認されている。なお信達岡中の林昌しんだちおかなかのりんしよう寺近くの竹林から銅鐸が発掘され、男里遺跡に住んだ弥生人の用いたものかと推定されている。古墳時代には新家古墳群・フキアゲやま古墳群・兎田うさいだ古墳群が確認されており、これらの築造年代からみて五世紀後半から六世紀にかけて同地周辺に豪族が住したことが推定される。また海岸地域も早くから湊であったらしいことは、「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年五月八日条の「山城水門亦の名は山井水門」が市内樽井たるいの地に、また同日条の「雄水門」が男里川の河口部天神の森てんじんのもりの南にあった入江であるとする説があることからもうかがえる。

奈良時代には当地方にも仏教が弘通し寺院の建立もみた。金熊寺は役小角の開創伝承をもつし、また行基開創とする寺院には海会かいえ寺・林昌寺がある。海会寺は現在はないが信達市場の長慶しんだちいちばのちようけい寺がその法灯をひくと伝える。海会寺は信達大苗代の一丘しんだちおのしろのいちおか神社境内地付近にあったが、現在その境内から塔心礎や塔・金堂と思われる基壇、白鳳期と推定される瓦や古代煉瓦の仏などが出土し、大寺院としての海会寺が確認されている。平安時代、市域を通るおもな交通路は、現在の泉佐野市南中樫井みなみなかかしいを経て当市域に入り、信達市場辺りから西に向かい和泉山脈中孝子きようし(現泉南郡岬町)を越えて紀伊国に向かう孝子峠越の道と、南に向かい和泉山脈中やま(現和歌山市)を越え紀伊国に入る道が推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泉南市」の意味・わかりやすい解説

泉南〔市〕
せんなん

大阪府南西部の市。大阪湾岸から和泉山脈北斜面にかけて広がる。 1970年市制。中心市街地は樽井,信達で江戸時代は紋羽 (もんぱ) の産地として知られた。現在は特紡糸や裏地,厚司 (あつし) などの織物,石綿工業などが行われる。農村部は米作のほか泉州タマネギの特産地。山麓には砂川奇勝や役小角 (えんのおづぬ) が開基した金熊 (きんゆう) 寺の梅林などの景勝地がある。海会 (かいえ) 寺跡は史跡。市域中央部を阪和自動車道が通り,海岸線に平行して南海電気鉄道本線,JR阪和線が通る。湾岸部には関西国際空港の開港と歩調を合せ,りんくうタウンが建設された。面積 48.98km2。人口 6万102(2020)。

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