治部省(読み)じぶしょう

精選版 日本国語大辞典 「治部省」の意味・読み・例文・類語

じぶ‐しょう ヂブシャウ【治部省】

〘名〙 令制で、太政官の被管八省の一つ。諸氏族の姓氏を正し、五位以上の継嗣婚姻祥瑞喪葬贈賻国忌および外国使臣の接待族姓席次訴訟などをつかさどり、また被管として音楽をつかさどる雅楽寮(うたのつかさ)や、山陵・葬祭・陵戸を管理する諸陵司(後に諸陵寮)、および凶事の儀式、喪葬具をつかさどる喪儀司が属していた役所。長官を卿(正四位下相当)といい、その下に大・少の輔、さらにその下に大・少の丞がいた。おさむるつかさ。
※令義解(718)職員「治部省〈管寮二。司二。〉」

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デジタル大辞泉 「治部省」の意味・読み・例文・類語

じぶ‐しょう〔ヂブシヤウ〕【治部省】

律令制で、太政官だいじょうかん八省の一。姓氏のこと、五位以上の官人の継嗣・婚姻、祥瑞しょうずい・喪葬・国忌のこと、外国使臣の接待などをつかさどる。管轄下に雅楽寮玄蕃寮げんばりょう諸陵司喪儀司がある。おさむるつかさ。

おさむる‐つかさ〔をさむる‐〕【治省】

じぶしょう(治部省)」に同じ。〈和名抄

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改訂新版 世界大百科事典 「治部省」の意味・わかりやすい解説

治部省 (じぶしょう)

日本古代の律令制八省の一つ。和訓は〈おさむるつかさ〉,唐名は礼部という。氏姓系譜にかかわる訴訟,五位以上の官人の相続・婚姻,祥瑞,喪葬,外交寺院僧尼に関することなどをつかさどり,雅楽寮(ががくりよう),玄蕃寮(げんばりよう)と諸陵司(のち諸陵寮),喪儀司の2寮2司を管したが,喪儀司は9世紀初めに廃止された。職員は卿1人に大少の輔・丞・録の四等官,史生・省掌・使部などの下級職員のほか,氏姓・系譜の訴訟を担当する大少の解部(ときべ)がおかれている。《日本書紀》天武10年(681)9月の条に諸氏におのおの氏上を定めて理官(おさむるつかさ)に申告することを命じた記事がある。この理官が治部省の前身である。もともと日本には氏(うじ)の掌握任務とする原初的な官司が存在していたようで,令制の治部省はそれを核とし,それにいくつかの新しい職務を付け加えて成立したと考えられる。令制下では官人制度が整備され,氏姓の重要性は相対的に低下したので,治部省の性格も変化し,奈良時代以降は仏事に関することがその職務の中心となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「治部省」の意味・わかりやすい解説

治部省
じぶしょう

令制官司(りょうせいかんし)の八省の一つ。「おさむるつかさ」とも読む。この省の前身は理官(おさむるつかさ)で、681年(天武天皇10)に初見する。令制では太政官(だいじょうかん)の左弁官局(さべんかんきょく)に属し、五位以上の官人の本姓、継嗣(けいし)、婚姻などの氏族問題を取り扱うほか、祥瑞(しょうずい)、喪葬(そうそう)、贈賻(ぞうふ)(香典(こうでん))、国忌(こき)、諱(いみな)、外客の朝聘(ちょうへい)のことなどを監督する。この省は雅楽(うた)、玄蕃(げんば)の2寮と、諸陵、喪儀の2司を管轄し、その職員には卿(かみ)1人、大輔(だいすけ)1人、少輔1人、大丞(だいじょう)1人、少丞2人、大録(だいさかん)1人、少録3人の四等官(しとうかん)のほか、その下に史生10人があり、別に大解部(おおいときべ)4人、少(すない)解部6人、省掌2人、使部(つかいべ)60人、直丁(じきちょう)4人が所属する。このうち大少の解部は1司であり、とくに氏族内の譜第(ふだい)に関する訴訟を取り扱う。

[渡辺直彦]

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百科事典マイペディア 「治部省」の意味・わかりやすい解説

治部省【じぶしょう】

律令制八省(はっしょう)の一つ。外交・葬儀などを担当,僧尼を管理。雅楽寮(ががくりょう)など2寮2司を管轄。7世紀末にみえる理官(おさむるつかさ)が前身。担当が朝廷の儀礼関係であるため,当初から要職とみられなかった。
→関連項目玄蕃寮諸陵寮

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「治部省」の解説

治部省
じぶしょう

大宝・養老令制の官司。八省の一つ。姓氏・継嗣・婚姻など,身分の認定に関する事務を行い,所属する品官(ほんかん)の大少解部(ときべ)を指揮して姓氏についての訴訟の審理にあたった。君主の徳に応じて出現するとされた祥瑞も管理した。雅楽寮・玄蕃(げんば)寮・諸陵(しょりょう)司・喪儀(そうぎ)司などを被管にもち,これらを指揮して,喪葬儀礼や外交上の事務,仏教寺院・僧尼の管理統制にもあたった。前身官司は理官で,天武朝に儀式の進行・統制を行い,大学における官人の養成にもかかわった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「治部省」の意味・わかりやすい解説

治部省
じぶしょう

律令制における八省の一つ。氏姓や,五位以上の継嗣,婚姻や,喪葬,国忌,朝楽,僧尼,山陵,外交のことを司った。被官として雅楽,玄蕃,諸陵の3寮および喪儀司 (9世紀初頭まで) を支配した。長官である治部卿の下に輔,丞,録などがおかれた。『日本書紀』天武紀に「理官」とみえるのはその前身。

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旺文社日本史事典 三訂版 「治部省」の解説

治部省
じぶしょう

律令官制の八省の一つ
太政官の左弁官に属し,五位以上の貴族の氏姓・相続・婚姻や,祥瑞・葬礼・陵墓・僧尼・外交などをつかさどり,氏姓に関する訴訟を扱った。長官は卿 (かみ) で,管轄下には雅楽 (うた) 寮・玄蕃寮・諸陵司・喪儀司などがあった。

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世界大百科事典(旧版)内の治部省の言及

【治部省】より

…《日本書紀》天武10年(681)9月の条に諸氏におのおの氏上を定めて理官(おさむるつかさ)に申告することを命じた記事がある。この理官が治部省の前身である。もともと日本には氏(うじ)の掌握を任務とする原初的な官司が存在していたようで,令制の治部省はそれを核とし,それにいくつかの新しい職務を付け加えて成立したと考えられる。…

【二官八省】より

…日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省式部(しきぶ)省治部(じぶ)省民部(みんぶ)省兵部(ひようぶ)省刑部(ぎようぶ)省大蔵(おおくら)省宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。…

※「治部省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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