河越氏(読み)かわごえうじ

改訂新版 世界大百科事典 「河越氏」の意味・わかりやすい解説

河越氏 (かわごえうじ)

武蔵国入間郡河越(河肥)荘を本領とする中世武家。桓武平氏秩父流。秩父重弘の弟重隆が河越荘司となって河越を称したのに始まる。重隆の孫重頼は1180年(治承4)の源頼朝挙兵時には平家方に属したが,のち同族の畠山重忠,江戸重長らとともに頼朝の麾下きか)に参じた。頼朝の乳母比企尼の娘を妻としていたこともあって頼朝に重用され,84年(元暦1)には頼朝との〈約諾〉によりその娘を義経に嫁して,源氏との縁戚関係をさらに深めたが,頼朝と義経との関係が悪化し,頼朝が義経追討を決意するに及んで重頼は最悪の事態を迎える。すなわち85年(文治1)義経の縁者であるという理由で誅伐をうけ河越荘も没収されてしまうのである。しかし河越荘は2年後重頼の後家尼に再給与され,息子の重員も1226年(嘉禄2)秩父氏以来の武蔵国留守所総検校職に補され,ある程度旧勢を回復した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の河越氏の言及

【武蔵国】より

…直接の影響はともあれ,11世紀の平忠常の乱と12世紀初頭の浅間山の大爆発は,奇しくも当国の古代と中世とを画する事件となったといえよう。
[武蔵武士]
 12世紀の盛んな開発,再開発の運動の中から,秩父氏畠山氏河越氏江戸氏など良文流の平氏諸流や武蔵七党などに属する多くの武士団が生まれると,彼らを上から組織しようとする棟梁間の抗争も始まり,1155年(久寿2)には源義朝の子義平が叔父義賢を急襲した大倉館の合戦なども起きている。そして翌年の保元の乱ならびに平治の乱には,ここで勝利した義朝に従って多くの関東武士が京都で合戦している。…

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