河合屏山(読み)かわい・へいざん

朝日日本歴史人物事典 「河合屏山」の解説

河合屏山

没年:明治9.8.14(1876)
生年:享和3.7.18(1803.9.3)
幕末姫路藩(兵庫県)の尊王攘夷派の中心となった家老。諱は良翰。父は同藩江戸詰藩士松下源太左衛門。文化2(1805)年同藩家老河合道臣(寸翁)の養子となり,天保6(1835)年家老職を継ぐ。嘉永6(1853)年良臣に家督相続し引退したが,その後出京し国事に奔走し同藩勤王党の中心となった。文久2(1862)年藩主酒井忠績の上京に際し家老を命じられる。藩主に攘夷を提議したが受け入れられず,逆に謹慎を命じられた(甲子の獄)。明治1(1868)年朝廷の命により藩政を執ることとなり新藩主酒井忠邦を補佐して守旧派を粛清した(戊辰の獄)。維新後,版籍奉還や貨幣制度改革をいち早く建言した。<参考文献>穂積勝次郎『姫路藩の人物群像』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河合屏山」の解説

河合屏山 かわい-へいざん

1803-1876 江戸時代後期の武士
享和3年7月18日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩士。河合寸翁(すんのう)の養子となり,天保(てんぽう)6年(1835)家老職をつぐ。のち家を養子良臣にゆずり,藩内勤王派の中心として活躍。明治維新の際,姫路藩が他藩にさきがけて版籍奉還を建議するのに力があった。明治9年8月14日死去。74歳。本姓は松下。名は良翰。通称は隼之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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