河内山宗春(読み)こうちやまそうしゅん

精選版 日本国語大辞典 「河内山宗春」の意味・読み・例文・類語

こうちやま‐そうしゅん かふちやま‥【河内山宗春】

江戸後期の幕府茶坊主奥坊主家柄に生まれ、数寄屋坊主となる。はかりごとを用いておどし、たかりなどの悪事を働き、のち捕えられて毒殺されたという。講釈師二代松林伯円の読み物「天保六花撰」や、歌舞伎脚本「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」などに河内山宗俊として登場。天明元~文政六年(一七八一‐一八二三

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デジタル大辞泉 「河内山宗春」の意味・読み・例文・類語

こうちやま‐そうしゅん〔かふちやま‐〕【河内山宗春】

[1781~1823]江戸後期の幕府の茶坊主。奥坊主組頭の河内山宗久の子という。遊侠仲間に入り、松江侯・水戸侯をゆすり、捕らえられて牢死。2世松林伯円の講談「天保六花撰」のほか河竹黙阿弥歌舞伎狂言天衣紛上野初花」に河内山宗俊として登場。

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改訂新版 世界大百科事典 「河内山宗春」の意味・わかりやすい解説

河内山宗春 (こうちやまそうしゅん)
生没年:?-1823(文政6)

幕府奥坊主頭の家に生まれ,水戸家でゆすりを働き捕らえられ獄死した。実録本《河内山実伝》と2世松林伯円作の講談《天保六花撰》(明治初年成立)によれば上野の使僧の名を詐称し,井伊侯(講談では雲州侯)邸でかたりを働いたことになっているが,この話は《男作五雁金(おとこだていつつかりがね)》(竹田出雲作,1742初演)のうち,案(あん)の平兵衛が呉服屋山川屋を助けるくだりを換骨奪胎したものとみられる。宗春は実録本では宗心,歌舞伎では宗俊とされて,舞台化は河竹黙阿弥によって講釈から脚色,1874年《雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)》として初演,1881年3月新富座で《天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)》として改作上演された。その無頼ぶりは極度に美化され,48万石の大名をやりこめる快男児として,玄関先の〈悪に強きは善にもと……〉のセリフに象徴されている。
天保六花撰物
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河内山宗春」の解説

河内山宗春 こうちやま-そうしゅん

?-1823 江戸時代後期の茶坊主。
御三家水戸家の富くじをめぐる恐喝で捕らえられ,文政6年7月22日獄死したという。2代松林伯円(しょうりん-はくえん)の講談「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」,河竹黙阿弥(かわたけ-もくあみ)の歌舞伎「天衣紛(くもにまごう)上野初花」によって有名になった。江戸出身。名は宗俊ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の河内山宗春の言及

【天保六花撰物】より

…講談の2世松林伯円(しようりんはくえん)が得意とした《天保六花撰》を題材にした作品群。1823年(文政6)に獄死した河内山宗春(俊)(こうちやまそうしゆん),彼と連座した直次郎(直侍(なおざむらい)),彼となじんだ浅草奥山の茶酌女お直,のちの吉原の遊女三千歳(みちとせ),その他金子市之丞,森田清蔵,暗闇の丑松を加えた6人の悪党をめぐる物語を脚色した。その最初の作は1874年10月東京河原崎座上演の河竹黙阿弥作《雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)》であった。…

※「河内山宗春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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