精選版 日本国語大辞典 「河上徹太郎」の意味・読み・例文・類語
かわかみ‐てつたろう【河上徹太郎】
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昭和期の文芸評論家。長崎市生れ。東大経済学部卒。早くから小林秀雄,中原中也らと交遊,《山繭》《白痴群》に音楽論,ついで文学論を発表した。1932年《自然と純粋》を刊行してフランス象徴主義の影響下に純粋自我という批評原理を確立し,小林秀雄とならぶ近代批評の先駆者となる。シェストフ的不安の流行のきっかけとなったシェストフ《悲劇の哲学》の翻訳(1934,阿部六郎と共訳),ジッドの紹介や,《近代の超克》座談会の主催などの間に《文学界》の編集に尽力した。戦後,《私の詩と真実》(1954)で美と信仰の内的一致を示した後,《日本のアウトサイダー》(1959),《吉田松陰》(1968)で正統への反逆者の精神を追求した。晩年は史伝に関心を寄せ,《有愁日記》(1970),《歴史の跫音(あしおと)》(1977)を刊行した。
執筆者:高橋 英夫
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評論家。明治35年1月18日、長崎市生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。同人誌『山繭(やままゆ)』『白痴群』、さらに『作品』を通じて文芸評論家として登場、1932年(昭和7)第一評論集『自然と純粋』を刊行した。ベルレーヌ、ジッド、フランス文学への理解に基づいた評論、また『音楽と文化』(1938)、『ドン・ジョヴァンニ』(1951)などの音楽評論で知られた。翻訳も少なくない。昭和10年代には雑誌『文学界』にあって、小林秀雄らとともに活動。以後の代表的な著書に自伝的エッセイ『私の詩と真実』(1953)、『日本のアウトサイダー』(1958~59)、『吉田松陰』(1966~68)などがある。62年(昭和37)芸術院会員、72年文化功労者。
[保昌正夫]
『『河上徹太郎全集』全8巻(1969~72・勁草書房)』▽『『河上徹太郎著作集』全7巻(1981~82・新潮社)』
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… 大正末から昭和10年代半ばまで,フランス文学に対する関心はさらに拡大する。思考する人間の意識,ひいては制作する人間の意識の精密な分析を重視した象徴主義の批評精神に着目し,新しい文学批評の道を開いた小林秀雄,河上徹太郎,ジッドなどを通してつかんだ精神の自由な運動という考えを,文学の拠りどころとした石川淳,スタンダールを熟読し,第2次大戦後になってから,社会の圧力のもとでの個人の生き方を明晰に見つめる小説を書いた大岡昇平など,この時期に出発点をもつ作家は少なくない。また,《詩と詩論》など,シュルレアリスムをはじめとする同時代の文学の紹介に熱意を示す雑誌が,つぎつぎに刊行されたのもこの時期である。…
※「河上徹太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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