沖永良部島(読み)オキノエラブジマ

デジタル大辞泉 「沖永良部島」の意味・読み・例文・類語

おき‐の‐えらぶじま【沖永良部島】

鹿児島県奄美あまみ群島南部の島。面積94.5平方キロメートル。サンゴ礁海岸・鍾乳洞などがある。サトウキビ・エラブユリの栽培が盛ん。

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精選版 日本国語大辞典 「沖永良部島」の意味・読み・例文・類語

おき‐の‐えらぶ‐じま【沖永良部島】

鹿児島県奄美諸島南部の島。慶長一四年(一六〇九島津氏支配下に入る。サトウキビ、エラブユリの栽培が行なわれる。面積九五平方キロメートル。永良部島。

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日本歴史地名大系 「沖永良部島」の解説

沖永良部島
おきのえらぶじま

奄美諸島の南部に位置する島。北東に徳之島、南西に与論島がある。北東部が和泊わどまり町、南西部が知名ちな町。「海東諸国紀」の琉球国之図に「小崎恵羅武島 去琉球四十里上松三百七十里 属琉球」と記されている。なお上松は肥前国上松浦かみまつらであろう。「中山世譜」首巻によれば、琉球三十六島のうちとして永良部と記されている。永良部島ともよばれ(大御支配次第帳)、イラブとも読んだらしい。「列朝制度」によれば、島の周り一〇里八町で、鹿児島から二三四里半、与論島までは一八里という。なお「三州御治世要覧」では「道之島五島」のうちとしているが、奄美歌謡の新ナガレ歌に「とぅく いらぶ よろんや なはぬ じうち」(徳之島、永良部島、与論島は那覇の地の内)と謡われている。

〔位置と自然的条件〕

南端の緯度は北緯二七度一九分三〇秒、北端が二七度二六分二〇秒付近、西端は東経一二八度三一分四〇秒、東端が一二八度四三分付近にある。最高点はおお山の二四〇メートルで、島の南西部の中央付近にある。島軸は北西―南西方向の走向をもち、約二〇キロ、最も幅の広い部分は南西端近くで、約九・三キロ。面積は約九三・六四平方キロ。基盤をなすのは中生代の四万十累層群の緑色岩類や頁岩・砂岩の互層で、古い時代に貫入したと思われる花崗岩体も一部にみられる。これらを除く大部分が新生代に堆積した琉球層群の石灰岩と国頭礫層などで覆われている。大山の頂上を中心とする一帯には六段の段丘面が認められるが、そのいずれもがかつて珊瑚礁原であったと考えられ、第四紀以降数回の隆起活動を繰返したことを示す。島の周囲にはほぼ全面に三メートル以下の珊瑚礁原が付着し、裾礁をなしている。島内には無数のドリーネや鍾乳洞などのカルスト地形がみられ、表流河川が少なく、余多あまた川が最長のものである。伏流する地下河川は暗川くらごうとよばれ、大山から放射状に流下するものが数条ある。観光洞として開発された昇竜しようりゆう洞や水連すいれん洞が知名町にある。最寒月(一月)の平均気温は摂氏一五度を下ることはなく、年平均気温も二二度と高い。ビロウ、ガジマル、アダンなどをはじめとする亜熱帯性植物がよく生育する。島の地形が低平であるため、年降水量は約二〇〇〇ミリ強で、奄美諸島では寡雨域といえよう。

〔琉球時代〕

大宰府跡出土木簡に記される「伊藍嶋」は当島とされ、和銅年間(七〇八―七一五)から天平年間(七二九―七四九)の前半の間の木簡と推定されており、八世紀前半にみえる奄美の島名として貴重である。

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百科事典マイペディア 「沖永良部島」の意味・わかりやすい解説

沖永良部島【おきのえらぶじま】

奄美諸島(2010年3月より奄美群島)の南部に位置する島で,北東に徳之島,南西に与論(よろん)島がある。〈おきえらぶじま〉ともいい,もとは〈永良部島〉とも称された。面積93.65km2。鹿児島県和泊(わどまり)町・知名(ちな)町に分かれる。地形は全体に低平で,最高点は島の南西部中央にある大(おお)山の240m。島の周囲の大部分にはサンゴ礁原が付属し,裾礁をなす。島内各地にドリーネや鍾乳洞などのカルスト地形がみられ,表流河川は少ない。 大宰府跡出土木簡にみえる〈伊藍嶋〉はこの島のこととされ,《おもろさうし》には〈ゑらぶ〉のほか,〈せりよさ〉ともみえる。14世紀初頭には得宗北条氏の被官千竈(ちかま)氏の譲状に島名がみえ,《李朝実録》成宗10年(1479年)6月乙未日条には〈伊羅夫島〉とある。琉球王国の領知下にあったが,1609年島津氏琉球侵攻により,鹿児島藩直轄領となる。島内は3つの間切(まぎり)に分かれていた。1879年大島郡に所属。 近世以来のサトウキビ栽培のほか,ユリ,フリージアなど園芸花卉農業が盛ん。和泊・知名の港に奄美大島・鹿児島などと結ぶ定期船が通じ,北東部の国頭(くにがみ)岬近くに空港がある。
→関連項目西郷隆盛

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「沖永良部島」の意味・わかりやすい解説

沖永良部島
おきのえらぶじま

鹿児島県奄美諸島(あまみしょとう)南部に位置する島。「おきえらぶじま」ともよぶ。面積93.65平方キロメートル。古生層の基盤を第四紀の琉球(りゅうきゅう)石灰岩が数段の隆起サンゴ礁となって覆う。最高点も西部にある大山(おおやま)で246メートルと低平な島。島内には無数のドリーネや鍾乳洞(しょうにゅうどう)などのカルスト地形が形成され、昇竜洞(しょうりゅうどう)や水連洞などは代表的なものである。最寒月(1月)の平均気温は15℃を下らず、年平均気温も22℃と高い。このため、ビロウ、ガジュマル、アダンなどの亜熱帯植物がよく生育する。年降水量は1800ミリメートル強で、薩南(さつなん)諸島としては少ない。表流河川はないに等しく、農業・生活用水はかつては暗川(くらごう)とよばれる鍾乳洞の開口部や、段丘崖(がい)下の湧泉(ゆうせん)の水を利用していた。現在は水道施設が整備され、水くみの労力は要さないが水源は以前とほぼ同じである。基幹作物はサトウキビ。特産物のフリージア、エラブユリの球根栽培はよく知られている。奄美群島国立公園に属し、サンゴ礁海岸、鍾乳洞、植生、貯蔵庫の高倉など本土と異なる自然・文化景観を求めて訪れる観光客は多い。大島郡知名(ちな)、和泊(わどまり)の2町からなる。島の東部に沖永良部空港があり、鹿児島、奄美大島、沖縄(那覇(なは))、与論、徳之島(とくのしま)との間に定期便がある。また鹿児島港那覇港からの定期船も寄港する。島の人口1万2996(2015)。

[塚田公彦 2019年5月21日]

『操担勁編『沖永良部沿革誌』(1961・望雲亭)』『永吉毅編『沖永良部島郷土史資料』(1968・和泊町)』

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改訂新版 世界大百科事典 「沖永良部島」の意味・わかりやすい解説

沖永良部島 (おきのえらぶじま)

〈おきえらぶじま〉ともいう。鹿児島県南部,奄美諸島の徳之島と与論島との間にある島。面積94.5km2。古期岩石を基盤とするがサンゴ礁起源の石灰岩地域が広い。最高点の大山が標高240mに過ぎない低平な島で,それに降水量も少ないので表流水に乏しい。カルスト地形がよく見られ,鍾乳洞も1962年発見された昇竜洞,水連洞など日本有数の規模のものがある。水は海岸の湧水や洞窟を下った地点で得られ,このような洞窟を暗川(くらごう)という。水田がほとんどない。畑地ではサトウキビのほか,ジャガイモなどの露地園芸作,エラブユリ,グラジオラスなどの花卉栽培が盛んであり,球根は海外にも輸出される。3~4月のフリージア開花期にはみごとな景観が見られる。行政的には北東部が大島郡和泊(わどまり)町,南西部が知名(ちな)町(人口はそれぞれ7114,6806(2010))で,それぞれ同名の字が中心地で,また港でもあり本土からの定期船が出入りする。鹿児島港から約20時間余である。北東部の国頭(くにがみ)岬付近に空港があり,鹿児島空港から約1時間40分である。カルスト地形をはじめ国頭岬,北西の田皆岬の海食絶壁海岸や国頭岬付近のフーチャなどが観光地として有名であるが,フーチャは海食崖からの海水の逆噴射で全国的に見ても珍しい。15世紀ごろこの島を支配していた琉球北山王の子世之主の墓があり,琉球式墓として最北にあるものとされている。また,この島は江戸時代末に西郷隆盛が流されたところで,南洲神社をはじめ関連の史跡がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖永良部島」の意味・わかりやすい解説

沖永良部島
おきのえらぶじま

鹿児島県南部,奄美群島の南西部にある低平な島。知名町和泊町とに分れる。古生層が基盤で島の大部分はサンゴ礁。大山 (246m) の周辺はカルスト地形が発達。海岸線の出入が少く良港はないが,第2次世界大戦後,東岸に和泊港が建設され便利になった。川は余多川だけのため水が不足で,鍾乳洞内の地下水や湧水を利用。サツマイモ,サトウキビ,ユリの球根,薬草ガジュツなどを産する。観光地として昇竜洞,水連洞,南州神社などがあるほか,日本一のガジュマルが和泊町にある。那覇-鹿児島の定期船が寄港。島の東部に沖永良部空港がある。面積 93.62km2。人口1万 5171 (2000) 。

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事典 日本の地域遺産 「沖永良部島」の解説

沖永良部島

(鹿児島県大島郡和泊町)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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世界大百科事典(旧版)内の沖永良部島の言及

【沖永良部島】より

…おきえらぶじまともいう。鹿児島県南部,奄美諸島の徳之島と与論島との間にある島。面積94.5km2。古期岩石を基盤とするがサンゴ礁起源の石灰岩地域が広い。最高点の大山が標高246mに過ぎない低平な島で,それに降水量も少ないので表流水に乏しい。カルスト地形がよく見られ,鍾乳洞も1962年発見された昇竜洞,水連洞など日本有数の規模のものがある。水は海岸の湧水や洞窟を下った地点で得られ,このような洞窟を暗川(くらごう)という。…

※「沖永良部島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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