沖の島(読み)おきのしま

日本歴史地名大系 「沖の島」の解説

沖の島
おきのしま

宿毛の西南、宿毛湾口に位置する。周囲に無人島はだか島・二並ふたなみ島・さん島が点在。西方に少し離れてひめ島がある。これら諸島を含む周辺海域は景観に富み、足摺宇和海国立公園の一画をなす。沖の島は全島花崗岩で面積一〇・五二平方キロ、周囲二三キロ。中央部に標高四〇三・八メートルの妹背いもせ山がそびえ、南部と東部断崖と急傾斜地が続き、西部の北と南に母島もしま浦・くぼ(久保)浦・小矢野こやの(古屋野)浦・弘瀬ひろせ浦の各集落が発達した。

沖の島は興ノ島とも書き(後述の地検帳)、島の開発は、「今昔物語集」巻二六(土佐国妹兄行住不知島語)や「宇治拾遺物語」五六(妹背島事)にみえる妹背島伝説がそれを物語るとされるが、確証はない。弘瀬の三浦家文書(「南路志」所引)は元久年間(一二〇四―〇六)幡多はた郡本土から移住開拓したといい、母島の沢近家文書ではいつの頃か山伏が渡海して居住するようになったと伝える。

沖の島
おきのしま

[現在地名]宇和島市日振島

日振ひぶり島の北端の能登のと浦沖にある小島。日振浦に属した。伊能忠敬の「日本実測録」には「従東岬西岬一十一町」とある。

周囲二〇〇メートル、全島の小山も砂浜も、ヒガンバナ科に属するハマユウ(ハマオモトともいう)や亜熱帯性植物が群生し、夏には美観を呈する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沖の島」の意味・わかりやすい解説

沖の島
おきのしま

高知県南西端、宿毛(すくも)湾口の島。面積9.99平方キロメートル。藩政時代、付近が好漁場であることから、沖の島をめぐって宇和島、土佐藩の境界論争があり、幕府の裁定で島の中央を縦断する線が両藩の境界となった。その名残(なごり)は、母島(もしま)集落(宇和島藩)のべんがら塗りと弘瀬(ひろせ)集落(土佐藩)の白木柱という民家様式の違いにもみられた。1874年(明治7)高知県に移管沖ノ島村となり、1954年(昭和29)宿毛市に編入。花崗(かこう)岩からなり海食地形が多く、海岸は足摺(あしずり)宇和海国立公園地域で、海域公園にも指定されている。『今昔物語』にちなむ妹背(いもせ)山(403.8メートル)が最高所。弘瀬の主集落は急傾斜地の渓流付近に階段状に密集し、干棚(ひだな)(農水産物の干し場)をもつ民家が特色。暴風雨日数も多いが、温暖で亜熱帯性植物もみられる。漁業が主たる生業。宿毛市片島港から定期船が就航している。人口237(2009)で過疎化が著しい。

[大脇保彦]


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デジタル大辞泉プラス 「沖の島」の解説

沖の島〔愛媛県〕

愛媛県宇和島市、日振島能登地区の北方約1.7kmの宇和海に浮かぶ無人島。4つの小島が砂州によって繋がり、1島となったもの。

沖の島〔兵庫県〕

兵庫県南あわじ市、伊毘湾口にある無人島。

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