旺文社世界史事典 三訂版 「汪 兆銘」の解説
汪 兆銘
おうちょうめい
中華民国の政治家。字は精衛
広東省の生まれ。日本の法政大学に留学中,中国同盟会に加入し,「民報」に健筆をふるった。1911年,摂政醇親王載澧 (じゆんしんおうさいほう) の暗殺に失敗。辛亥革命以後,孫文の側近として中国国民党の結成に参画し,孫文の死後も国民党左派を代表してしばしば蔣介石と対立した。しかし満州事変後は妥協し,1938年国民党副総裁に就任した。抗日戦争が始まると日本と和協を主張して重慶を脱出。日本の近衛 (このえ) 声明に呼応し,1940年南京政府を樹立して日本に協力したが,民衆の支持を得られず,44年名古屋で病死した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報