(読み)いけ

精選版 日本国語大辞典 「池」の意味・読み・例文・類語

いけ【池】

〘名〙
① くぼ地に水が自然にたまった所。または、地面を掘ったり土手を築いたりして水をためた所。ふつう、湖沼より小さいものをいう。
※古事記(712)中・歌謡「水たまる 依網(よさみ)の伊気(イケ)の 堰杙(ゐぐひ)打ちが 刺しける知らに」
② 硯(すずり)の、水をためておくくぼみ。海。
※玉塵抄(1563)一三「その硯の池の中に黄なちいさいつぶせに打ほどな石があったぞ」

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デジタル大辞泉 「池」の意味・読み・例文・類語

いけ【池】

くぼ地に自然に水がたまった所。また、地面を掘って水をためた所。ふつう湖沼より小さいものをいう。
すずりの水をためるところ。海。
[補説]作品名別項。→
[類語]沼沢湖沼泥沼古池溜め池貯水池人工池遊水池用水池水瓶ダム湖水淡水湖鹹水湖塩湖河跡湖三日月湖火口原湖火口湖陥没湖人造湖

ち【池】[漢字項目]

[音](漢) [訓]いけ
学習漢字]2年
〈チ〉
いけ。ほり。「池魚池沼池畔園池金城湯池貯水池
水などをためるもの。「硯池けんち電池墨池
〈いけ〉「古池

いけ【池】[絵画]

朝鮮出身の画家、山口長男による油絵。昭和11年(1936)制作。白地に黒や黄、緑、ピンク色の直線や曲線、不定形の筆の線を配置した抽象画。東京国立近代美術館蔵。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「池」の意味・わかりやすい解説


いけ

池とは、湖と同じく窪地(くぼち)にたまった水をさすが、水域の規模が小さい場合に多く使われる。湖沼学では、水深5メートル以下のとき、沼または池とよぶことにしているが、この区分は厳密なものではない。池は自然湖沼にも使われるが、人工の水域、すなわち貯水池や溜池(ためいけ)に使われる場合が多い。

 日本には21万か所に近い農業用溜池があり、なかには水深10メートル以上の大きな溜池も多いが、その多くが池の名でよばれている。庭園の人工的な水域も池の名でよばれる。小さな自然湖も池というが、例外的に鹿児島県の鰻池(うなぎいけ)(水深56メートル、面積1.15平方キロメートルの火山湖)などの中規模の湖でも池の名でよばれることがあり、湖沼学上の定義と実際の呼び名は一致していない。

[新井 正]

池と庭園

日本庭園の池の古い例は、推古(すいこ)天皇の時代の蘇我馬子(そがのうまこ)の庭園のそれである。池と島の景によって、馬子は島の大臣(おとど)とよばれ、その邸(やしき)の跡につくられた離宮は島宮(しまのみや)とよばれた。奈良時代の池は、平城京左京三条二坊から発掘されている。平安時代には寝殿造の住宅の南部に池が設けられ、庭園に関する書『作庭記』も著された。平安時代には、宇治の平等院、平泉の毛越寺(もうつうじ)のように、浄土教寺院にも池がつくられている。同様の系統に浄瑠璃寺(じょうるりじ)、円成寺(えんじょうじ)の庭園がある。室町時代には、禅宗寺院の三門前の放生池(ほうじょうち)や永保寺(えいほうじ)の庭園のほか、鹿苑寺(ろくおんじ)(金閣寺)、慈照寺(じしょうじ)(銀閣寺)の庭園などがある。主殿造の住宅にも池を中心とする観賞用庭園がつくられたことが屏風絵(びょうぶえ)などから知られる。近世には、郊外の別邸に、池を中心とする大規模な庭園がつくられた。京都の桂離宮(かつらりきゅう)、修学院(しゅがくいん)離宮などのほか、東京の六義園(りくぎえん)、岡山後楽園(こうらくえん)、金沢の兼六園、熊本の水前寺(すいぜんじ)公園、高松の栗林(りつりん)公園など、池を巡って景色を楽しむ回遊式庭園がよく知られている。近代の公園内の池は、西洋庭園の形式でつくられたものが多い。

 西洋庭園は、ローマ時代の中庭の池や別邸の池に始まり、ルネサンス・バロック時代には、ローマの噴水を中心とする池、ベルサイユ宮殿の庭に設けられた幾何学的形態のきわめて人工的な巨大な池などがよく知られている。

 東洋においても、中国における自然の風景を模した明(みん)・清(しん)代の園林の池があり、その規模も広大なものから、住宅前庭の奇岩をあしらった小さなものまでさまざまである。

[平井 聖]

池と人間生活

水田耕作地の広がるアジア地域では、日本と同様に池と農村生活は切り離すことのできない密接な関係にあり、これに関するさまざまな宗教儀礼、伝説を有している。朝鮮半島の池の起源も灌漑(かんがい)耕作と結び付いているようで、遠く『三国史記』にも百済(くだら)、新羅(しらぎ)の国々で利用されていた記録が残っている。したがって、日本古代の池の築造に際し、その技術、知識が少なからず影響を与えたという推測もなされている。このほか朝鮮の池には、支配者の王宮に付き物の宮苑池(きゅうえんち)、仏教寺院の蓮池(れんち)が見受けられ、日本と類似している。中国では、前記の池のほか、戦国時代から防護、飲料を目的とした軍事施設、養魚場といった多目的な池の姿をみいだすことができる。またカンボジアでは、仏教寺院建立、維持のための盛り土を採取したあとの窪地が池になったという例が多く、これらは同時に貯水、排水の機能も兼ねている点で、伝統的な知恵の結晶といえる。また寺院の境内には沐浴(もくよく)のための池が設けられる一方、有名なアンコール・トム遺跡にみられるように、王宮には大池がかならずつくられ、王権の神聖化の道具として利用された。中米グアテマラにあるマヤ文明の大遺跡ティカルでは、採石場の跡が池になり、マヤ人がここから飲料水を得ている。またメキシコ、ユカタン半島チチェン・イツァー遺跡には、「いけにえの池」とよばれ、人身供犠(じんしんくぎ)(人身御供(ひとみごくう))の伝説が語り伝えられている池がある。

[関 雄二]

池の伝説

湖沼を含めた池の伝説は、水面の音の変化によって神意を尋ねようとするもの、主人公の入水(じゅすい)によって水が霊を宿すという類がほとんどである。念仏を称(とな)えると反応が現れるという前者の類では、池底から泡や砂の湧(わ)くもの(山形県酒田市東部の旧平田町地域、千葉県君津(きみつ)市など)があり、念仏池とよばれる。中近世の非僧非俗の聖(ひじり)たちの唱導から生まれた伝説であろう。姥ヶ池(うばがいけ)は老女投身によりその池が返事をするという類。主人公が行者であれば念仏池と同型となる。水に縁のある巫女(みこ)や憑坐(よりまし)が姥神に変わってこの型の伝承が伝えられたと考える。これは昔話「黄金(こがね)の鉈(なた)」「竜宮童子(りゅうぐうどうじ)」にも共通し、母子神信仰とも関係がある。『沙石(しゃせき)集』巻8「阿曽(あそ)沼の鴛鴦(えんおう)」など、断片を含めて説話文学に登場する真菰池(まこもいけ)の伝説は、オシドリの雌雄どちらかが射(う)たれて無事なほうも死ぬという類。長野県伊那(いな)市東光寺の縁起であるそれは、発心譚(ほっしんたん)になっている。そのほかに、機織淵(はたおりぶち)に同じく水底に機を織る音が聞こえるという類は、若い女性の投身と結び付いている場合が多い。

 池の主を蛇とするもの、または蛇が土地の娘と結ばれてその娘の入水に発展する伝説も、水の神とそれを祀(まつ)る巫女の伝承から生まれたものと考えられる。また、鞍池(くらいけ)、馬取池(うまとりいけ)などと称して、馬の入水によりある特定の日に水底に鞍が見えるという伝説も、水の神が馬に乗って臨幸する伝承から脚色されたものであろう。

 深いよどみをたたえた水の神秘性と、生活に欠かせなかった水には、古代からさまざまな伝承が付帯し屈折を経てきた。池に限らず、清水、井、淵などには、霊異を感得した伝承が多い。それらがさまざまの入水譚を創作し、またはそこにすむ主の怪異譚を生んだのであろう。そしてこれらの伝説は、水の霊を鎮める人々の手によって管理され、伝播(でんぱ)してきたものと考えられる。

[渡邊昭五]


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改訂新版 世界大百科事典 「池」の意味・わかりやすい解説

池 (いけ)

池のもつ意義にはそのおもなものとして,灌漑(かんがい)のことがまず取りあげられなければならない。つぎに文学に現れる池,また庭園の池を考えなければならない。庭園の池は最初から鑑賞もしくは造園上の風趣をそえることに目的があるが,文学の中に取り入れられた池は,むしろ灌漑池として築造された池のすぐれた景観が,人工池ではあるが自然を背景とした美しさによって,人の心をゆすぶるものである。

 平安時代の文学者たちは京都,奈良の各地に,いわゆる名池なるものをつくっている。そうした名池も現代に残るものも少なくなり,都会に近いところではしだいに汚濁の水をためるようになってはいるが,河内の狭山池のように今日なお千数百年の澄潭(ちようたん)を持続するものもある。しかしこうした名池でなくとも美観をもった池はまだまだ各地に残っている。また新しく灌漑用池もしくは電源開発を目的とした池が現代科学による技術をもってつくられつつあって,それらの多くは立地上,古来の池と同じ環境にある。

 清少納言は《枕草子》に,〈池は,かつまたの池。磐余の池。贄野の池,初瀬にまうでしに,水鳥のひまなくゐてたちさわぎしが,いとをかしう見えしなり。水なしの池こそ,(中略)猿沢の池,鏡の池,狭山の池は,みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならん。こひぬまの池。はらの池は,玉藻な刈りそといひたるも,をかしうおぼゆ〉と記している。これでどこに文学的興味があったかということも知られる。同時に深く水をたたえた池が静寂そのもののような環境にあるとき,これに対する恐怖もしくは信仰が生まれる。池の中に主が住む。それは山間部の池へ行くと伝説だけではないような気がする。神霊池の現出は当然ありうることと思われ,この思想は現代にまで伝統している。阿蘇山頂の神霊池は代表的な例であり,羽黒山の鏡の池は池そのものの形からもいえるが,信仰的に池中に鏡(羽黒鏡)を投入したからであろう。これは池と神社信仰の関係であって各地に類例が見られる。また伝説ともつながるわけである。

 しかしこうした池に関する文学や伝説は,つまるところ池本来の使命を説くものではない。早く日本に発展した弥生式の水田農耕は,原始的ではあるが,灌漑農業の域に進んでいたものと観察される。その事実は,大和の唐古遺跡における鍬をはじめとする各種の農耕具の発掘から,それが自然に発育した米の収穫によるものでないことによって確認される。これから考察すると,日本の灌漑農業は前2世紀ころにはすでに西部日本の地域に発展していたと思われるから,記紀に記載する池溝の開削事業も案外に古い文化の事実を伝えていることであろう。《日本書紀》の崇神天皇62年に,河内狭山の農民が池溝の施設が悪いため農業にはげまないので,狭山池築造の計画が立案されたことがみえる。この記載は天皇の存在年代はともかくとして,いちおう日本の古墳時代において弥生式文化から継承した水田農耕が展開され耕地の整理が行われたことを示すものとしてよかろう。その後,池の築造はしだいに増加し,前記の名池がまず灌漑池としてつくられたのであった。各氏族が私有した土地が大化改新によって国有化されると,これにともなう灌漑施設も当然政府の責任となるから,灌漑源である池の意義はますます重要性を加えた。池は灌漑が目的であるということ,国を富ませ民を安んずるのは良田をつくるにあり,その根本は池溝の整備であることを,しばしば太政官符で指令している。現代のように灌漑の機械化ができなかった古代社会では,貯水池こそ唯一の灌漑源であった。したがって,農民の生活に直結し社会全体につらなるものとして,池の管理,用水権の問題ははなはだ重大な意味をもつものであった。
池司 →井司
執筆者:

日本で庭園に池を築くことは,すでに《日本書紀》推古34年(626)にみえている。これは〈嶋大臣〉と呼ばれた蘇我馬子の邸で飛鳥川のほとりに築かれ,〈庭の中に小なる池を開(ほ)れり。仍(よ)りて小なる嶋を池の中に興(つ)く〉と記されており,石舞台古墳の西方(明日香村嶋庄)で1976年,7世紀ごろの池の遺構が発見されている。奈良時代では《万葉集》に草壁皇子の勾島宮(まがりのしまみや)の荒磯を模した池の趣が,舎人たちの挽歌二十数首に歌われている。平城京址からは平城宮東院と左京三条二坊六ノ坪で池の遺構が出土しており,後者には州浜や立石の構築がみられた。平安時代には作庭技術を記した《作庭記》が,寝殿の前に築く池の位置,規模,築造法などを詳しく述べている。《紫式部日記絵巻》《年中行事絵巻》などによって平安時代寝殿造の大池泉がうかがわれ,そこには多く船遊奏楽が描かれている。鎌倉・室町時代になると,前代に比して池はやや小規模となり,また禅宗寺院の方丈庭には中国宋・元の山水画からの影響もあって,巧緻な枯山水風の池が現れた。しかし安土桃山時代には豪華な館が建てられ,これに釣り合うようにふたたび大池が設けられた。さらに江戸時代には,大名が競って池泉を中心とした回遊式庭園を築き,今日も後楽園,偕楽園などにみることができる。江戸時代後期の造園書《夢窓流治庭法》は池の形態を水字形,心字形,半月形,流水形などで紹介しているが,心字池は必ずしも〈心〉の字形でなく,複雑な汀線の変化を楽しむ手法として今日にその名を残している。
庭園
執筆者:

西洋はだいたいにおいて水田耕作地帯ではないので,池は灌漑用ではなく,たいてい水車,養魚,製氷,ボート遊びなどを目的としている。飼育される魚はマス,イワナ,コイなどが多く,人工孵化も行われる。修道院の構内にもしばしば養魚池がみられる。水田耕作を中心とする日本では池(および水神)は農村生活に根本的な関係をもち,したがって種々の崇拝儀式や伝説などがこれに結びついているが,西洋では人工の池よりは神秘性をもつ自然のが崇拝の対象とされる。湖は繁殖力の象徴として祈禱,供物,犠牲などをささげられ,古代にはその崇拝は母なる大地,繁殖と冥府の女神の崇拝と結合していた。フリュギアのキュベレ女神,ペルシアのアナーヒター女神,タウリスのアルテミス女神,ローマのディアナ女神,ゲルマン人のネルトゥス女神など繁殖の女神たちの神殿がしばしば森の中の湖畔に建っていた。そしてその神像は定まった時期に湖の中で水をあびせられた。アルテミス,ネルトゥス崇拝には元来人身犠牲が結びついていたらしいが,後にはそれに代えて供物をささげるようになった。アイマラ族はチチカカ湖を日神の誕生地として崇拝していた。ギリシア,インドなどでは,山中の湖から雨雲がたちのぼるという信仰があり,干ばつには湖畔で雨乞いをした。蛇は昔から繁殖,農業,再生の象徴とみなされ,したがって繁殖の象徴である湖と関係があった。すなわち蛇(または竜)は水神で,湖の中に住み,洪水を起こしたりすると考えられた。また湖には,鐘が沈んでいるという沈鐘伝説,寺院が沈んでいてときとしてその鐘の音がきこえるという沈める寺伝説,白鳥の湖伝説など種々の物語がまつわり,劇,音楽,バレエなどの題材にもなっている。

 また岩,地隙などからほとばしりでる泉に対する宗教的崇拝も広くひろまっており,とくに古代には泉は聖所として,ときには神としてあがめられた。ことにその水に薬効があるといっそう尊ばれた。また神託所としてアポロンにささげられた泉も多い。泉の神はカメナ,ニンフなどたいてい女神で(これは繁殖力という泉と女性との共通性にもとづくものかもしれない),貨幣,装身具,食物などが供物にされた。旧約聖書には〈命の水〉という語がよく使われ,北欧神話でも世界樹イグドラシルの下には命の泉が流れている。後世になって,キリスト教の教会はしばしば神聖な泉のかたわらに建立され,また聖泉という地名も多く,今日でも昔の泉崇拝を示している。神話,伝説にも,湖と同様に泉は重要な役割をはたしている。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「池」の解説


あしいけ

[現在地名]安城市高棚町

高棚たかたなの北端に、農地・宅地として地名のみ残る。市域最大の溜池で、面積六〇町歩に及んだ。村の最高地に位置し、野田のだ(現刈谷市)箕輪みのわ両村にわたる原野の降雨水を流入させたもので、湧水はない。築堤の時期はわからない。五つの樋門を通して高棚村のしん池・ひる池・かき池の三池に分水、そこから高棚村の田を灌漑した。宝暦二年(一七五二)芦池の周り高棚村では弁天森べんてんもりとよび、半城土はじようど(現刈谷市)では狐園きつねえんまたは馬草坪まぐさつぼとよぶ原野の所属をめぐって両村は争った(「芦池論内口達留」明治用水資料編)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【湖沼】より

…また海と湖の区別がつきがたい水塊もある。 自然の湖沼は,深さと大きさの差から,湖,沼,沼沢,池などに分けられている。湖は湖底までの水深が5m以上あり,湖岸寄りの浅い所に,植物の全体が水中にあるクロモ,フサモなどの沈水植物が生育しているものをいう。…

【溜池】より

…降雨を農地の灌漑用水として貯水するための人工の池。降雨量や河水が少ない地域,または地下水位が低かったり河水を引きがたい地域に多く見られる。…

※「池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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