池田‐ロバートソン会談(読み)いけだろばーとそんかいだん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「池田‐ロバートソン会談」の意味・わかりやすい解説

池田‐ロバートソン会談
いけだろばーとそんかいだん

MSA協定締結にあたり日本とアメリカの意見の違いを調整するために開かれた会談。アメリカは、同協定締結により日本が急速かつ本格的な再軍備を行うことを求めたが、日本は「なし崩しの再軍備」を主張し、同協定を経済援助的なものにしようとした。またアメリカは、完成兵器援助という形で中古品を押し付けようとし、日本は自主的な軍需生産を主張した。1953年(昭和28)10月、吉田茂首相の特使として自由党政調会長池田勇人(はやと)は、ワシントンでアメリカ国務次官補ロバートソンと会談した。両者の対立点は解消されず、逆に教育による防衛精神の育成を約束させられ、さらにアメリカの余剰小麦買い付けを取り決めるなど、アメリカペースの会談であった。日本の再軍備と教育の反動化を推進していく契機となった。

伊藤 悟]

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旺文社日本史事典 三訂版 「池田‐ロバートソン会談」の解説

池田‐ロバートソン会談
いけだ‐ロバートソンかいだん

1953年10月,ワシントンで行われた,吉田茂首相の特使池田勇人自由党政調会長とアメリカ国務次官補ロバートソンとの会談
日本の防衛力増強とアメリカの対日経済援助問題に関して行われ,MSA協定後の防衛力の増強,余剰農産物の買入れ,ガリオア資金の早期返済などについて合意し,日米軍事協力体制は一歩前進した。

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