池川村(読み)いけがわむら

日本歴史地名大系 「池川村」の解説

池川村
いけがわむら

[現在地名]池川町池川・大西おおにし大野おおの坂本さかもと

現池川町の中央部、土居どい川・安居やすい川の合流地から、その下流池川川流域を中心に、北の土居川流域一帯を村域とする広域の村。高知城下と伊予松山城下を結ぶ松山街道が土居川沿いを通り、村の中心池川土居はその宿駅として栄えた。北西の土居川上流は用居もちい村、東は狩山かりやま村、南は大崎おおさき(現吾川村)。池川郷ともよばれる。

村内椿山つばやま集落などには平家の落人に開拓されたという伝えも残るが、池川が史料にみえる最初は、享禄三年(一五三〇)頃と推定される大平元国の大野右衛門太夫等宛書状(蠧簡集竹頭)で、「今度池川名ノ川御家ヘ進置候」とある。長宗我部氏の検地は、天正一八年(一五九〇)に行われ、太川五名之内池川地検帳一冊が残るが、そのすべてが池川名として長宗我部氏の姻戚であったと伝える片岡氏の所領とされた。同地検帳にはのちに村内の小村となる坂本村・谷口村・西谷村竹谷村・池川土居村・有吉村・モヽカ内村・太西村・大野村・岩柄・池川村など約三〇の地名があげられるが、そのうちには江戸時代に枝村とされる寄相よりあい(寄合)や、用居も含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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