精選版 日本国語大辞典 「江原素六」の意味・読み・例文・類語
えばら‐そろく【江原素六】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
明治・大正期のキリスト教主義教育家,政治家。東京の有名な私立中等学校,麻布中学校(麻布学園の前身)の創設者。幕府下級武士の家に生まれ,苦学して昌平坂学問所や講武所に学び,また近藤真琴などに師事して洋学を修めた。幕末の動乱では幕臣として各地に転戦し,敗北ののちは旧幕府の転封により沼津に移り,静岡藩(旧幕府)少参事となり1868年異色の沼津兵学校,同校付属小学校の創設に尽力した。71年太政官から派遣されて欧米各国を視察し,帰国後静岡県で教育や士族授産事業にあたる。78年カナダ・メソディスト教会で受洗,キリスト教の伝道につとめた。90年上京して当初東洋英和学校長,95年麻布中学校を創設し,以後没するまで同校長。90年最初の衆議院議員に当選,自由党,政友会の要職にあり,また1912年以降貴族院勅選議員。帝国議会において教育問題議事にしばしば参画した。
執筆者:佐藤 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末の幕臣、明治・大正期の政治家、教育者。旗本江原源吾の子として江戸で生まれた。西洋流砲術を学び幕府陸軍の士官となり、戊辰戦争では下総(しもうさ)国で新政府軍と戦う。徳川家の駿河(するが)移封に従って沼津に移住し、静岡藩が陸軍将校の養成のために設立した沼津兵学校の経営に従事した。廃藩置県後は沼津地域や静岡県内で士族授産や殖産興業にとりくみ、静岡師範学校や沼津中学校の校長をつとめるなど、教育にも力を尽くした。1890年(明治23)衆議院議員に当選、その後長く自由党や立憲政友会に所属する代議士として活動、1912年には貴族院議員となった。東京では私立麻布中学校を創立し、その校長を生涯つとめた。また、東京基督(キリスト)教青年会理事長になったほか、禁酒運動や廃娼(はいしょう)運動、不良少年感化事業など、さまざまな社会事業に関与するなど、キリスト教界の名士としても幅広い活動を行った。
[樋口雄彦 2018年3月19日]
『村田勤著『江原素六先生伝』新版(1940・三省堂)』▽『江原先生伝編纂会委員編『江原素六先生伝』復刻版(1996・大空社)』▽『加藤史朗著『江原素六の生涯』(2003・麻布中学校・高等学校)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(高橋昌郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新