日本大百科全書(ニッポニカ) 「永源寺(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
永源寺(旧町名)
えいげんじ
滋賀県中東部、神崎郡(かんざきぐん)にあった旧町名(永源寺町(ちょう))。現在は東近江(おうみ)市の東部を占める地域。愛知(えち)川の上・中流部に位置する。旧永源寺町は、1955年(昭和30)永源寺村と市原村が合併して町制施行。2005年(平成17)八日市(ようかいち)市および神崎郡五個荘(ごかしょう)、愛知郡愛東(あいとう)、湖東(ことう)の3町と合併して東近江市となる。旧町名は臨済宗永源寺派大本山瑞石山(ずいせきざん)永源寺に由来する。地域の約90%は鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)で占められ、愛知川の谷口に山上(やまがみ)などの集落が発達している。地域の中央を国道421号が横断する。近江鉄道八日市駅から約11キロメートル離れているが、紅葉の名所永源寺を訪れる人が多い。古くから木材、キノコ、コンニャク、茶などを産し、とくに政所(まんどころ)は良質の茶の産地として名高い。山地の蛭谷(ひるだに)、君ヶ畑は木地師発祥の地とも伝えられる。蛭谷に木地師資料館がある。愛知川に建設された永源寺ダムによって用水問題も改良されつつある。
[高橋誠一]
『『永源寺町史』全3巻(2001~2002・永源寺町)』
[参照項目] |
| | |