永昌郡(読み)えいしょうぐん(英語表記)Yong-chang jun; Yung-ch`ang chün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永昌郡」の意味・わかりやすい解説

永昌郡
えいしょうぐん
Yong-chang jun; Yung-ch`ang chün

中国,後漢時代の郡。雲南省西部の地。郡治は現在の保山県。もと哀牢夷 (あいろうい) の住地であったが,後漢明帝のとき服属し永昌郡となる。唐代には南詔に属した。ビルマ・ルート要地

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世界大百科事典(旧版)内の永昌郡の言及

【哀牢】より

…始祖伝説によれば,牢山の婦人沙壱が魚とり中に竜の化身である沈木にさわって産んだ男子10人のうち,竜になめられた末子の九隆が選ばれて初代の王となったという。はじめ中国とは交渉をもたなかったが,47年(建武23),後漢と戦って敗れると内属し,その地には永昌郡が置かれた。【安田 二郎】。…

【シーサンパンナ】より

…タイ,ハニ(哈尼)など10余の少数民族が住み,州南部は熱帯に属する。三国時代の蜀では永昌郡下にあったが,元代に徹里軍民総管府が設けられ封建制に移行した。ちなみに西双版納とはタイ語で12の千田の意で千田とは封建領地の単位をさす。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」