永六輔(読み)エイロクスケ

デジタル大辞泉 「永六輔」の意味・読み・例文・類語

えい‐ろくすけ【永六輔】

[1933~2016]放送作家エッセイスト東京の生まれ。本名孝雄たかおテレビ放送草創期から、放送作家や司会者として幅広く活躍。また長年、ラジオ番組のパーソナリティーも務めた。作詞家としても知られ、「こんにちは赤ちゃん」「上を向いて歩こう」などの作品を残した。著「芸人その世界」「大往生」など。平成12年(2000)菊池寛賞受賞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永六輔」の意味・わかりやすい解説

永六輔
えいろくすけ

[生]1933.4.10. 東京,東京
[没]2016.7.7. 東京,渋谷
放送作家,作詞家,タレント随筆家。本名永孝雄。東京府東京市浅草区(今日の東京都台東区元浅草)の浄土真宗の寺,最尊寺に生まれた。1944年学童疎開で長野県の国民学校転校当地終戦を迎え,1947年東京に戻り旧制早稲田中学校に編入。この頃から日本放送協会 NHKのラジオ番組『日曜娯楽版』にコントを投稿。1952年早稲田大学第二文学部に入学するが,『日曜娯楽版』の発案者でもあった作詞・作曲家の三木鶏郎にスカウトされ制作者集団「冗談工房」に参加,大学を中途退学して本格的に放送作家の道を歩み始めた。1961年からは 5年間にわたって放送された NHKの人気バラエティー番組『夢であいましょう』の作・構成を担当。また同番組では毎月 1曲,永六輔作詞,中村八大作曲による「今月の歌」がつくられ,ここから数多くのヒット曲が生まれた。なかでも 1961年に坂本九がうたって大ヒットした『上を向いて歩こう』は,アメリカ合衆国では『SUKIYAKI』のタイトルでリリースされ,3週連続全米ヒットチャート 1位を獲得。また 1962年5月の歌としてジェリー藤尾がうたった『遠くへ行きたい』は讀賣テレビ放送が制作する同名の紀行番組のテーマ曲として使われ,1963年7月の梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』は日本レコード大賞を受賞した。同番組が始まる前の 1959年に水原弘がうたい第1回日本レコード大賞に輝いた『黒い花びら』も中村の依頼で作詞した曲である。『夢であいましょう』が終了すると活動の場をラジオに移し,1967年から東京放送 TBS(→東京放送ホールディングス)のラジオ番組『永六輔の誰かとどこかで』にパーソナリティとして出演。同番組は 2013年まで続く長寿番組となった。文筆家としても活躍し,100冊をこえる著書があるが,旅先などで知り合った人々の生死に関することばを拾い集めたエッセー集『大往生』(1994)は累計 242万部の大ベストセラーとなった。江戸文化に精通し,和服や尺貫法の復権運動でも知られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永六輔」の解説

永六輔 えい-ろくすけ

1933- 昭和後期-平成時代の放送作家,エッセイスト。
昭和8年4月10日生まれ。三木鶏郎(とりろう)の冗談工房にはいり,ラジオ・テレビ番組の構成者,タレントとして活躍。作詞家として「上を向いて歩こう」などのヒット曲を多数生む。旅でひろった話を独特の話芸でかたり,エッセイにあらわす。尺貫法をまもる運動やボランティア活動にもかかわる。26年旅番組「遠くへ行きたい」などテレビ・ラジオへの長年の功績で毎日芸術賞特別賞。東京出身。早大中退。本名は孝雄。著作に「芸人その世界」「大往生」など。

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