日本大百科全書(ニッポニカ) 「氷」の意味・わかりやすい解説
氷
こおり
ice
固体の状態の水。化学組成はH2O。密度は1気圧0℃において917キログラム毎立方メートル(kg/m3)で、水より軽い。このため氷は水に浮き、水が凍ると体積が増える。氷と水が共存する温度、すなわち氷の融解点あるいは水の凍結点は、空気で飽和した水の場合1気圧で0℃である。氷の融解点は、圧力が1気圧増えるごとにおよそ0.01℃下がる。したがって、圧力が、たとえば100気圧ならば、氷は零下1℃で融け、水は零下1℃で凍り、1000気圧ならば、氷は零下10℃で融け、水は零下10℃で凍る。この性質を利用して、スケートやスキーが氷の上で滑るのは、0℃以下の温度でも圧力が加わると水が発生するためであると説明された時代があったが、これは誤りである。あとで述べるように、スケートやスキーが滑るのは氷面に生じた薄い水膜のためではあるが、水は、圧力ではなく、運動による摩擦熱で発生すると考えられている。
[前野紀一]
氷の構造と性質
普通の氷は六方晶系に属する結晶で、各酸素原子は2.7オングストローム離れた周りの4個の酸素原子によって四面体的に囲まれ、六角形の構造をつくっている。各結合上には1個の水素原子(実際は裸の水素原子、すなわちプロトン)が存在し、水素結合を形成している。各酸素原子は周りの4個の酸素原子と水素結合しているが、近傍には2個のプロトンが存在し、分子性(H2O)が保たれている。氷結晶の構造は、1本の主軸(c軸)とそれに直交する3本の副軸(a軸)で特徴づけられる。c軸に垂直な面は分子の最密充填面であり、この最密充填面はしばしば底面とよばれる。氷結晶は、この分子面が多数積み重なったものである、と表現されることがあるが、事実、氷結晶に力学的な力を加えると、この面同士が相互に滑ることによって変形が進行する。これは底面滑りとよばれ、氷が水飴のように容易に塑性変形する理由の一つである。c軸は、雪結晶の角柱結晶や針状結晶が長く伸びる方向である。また、a軸は、樹枝状結晶や星状六花の枝の伸びる方向である。
氷が六方晶系の結晶であるといえるのは、酸素原子の配置に関してであり、水素原子に関して、氷は厳密には結晶とはいえない。氷結晶のなかで分子性(H2O)は時間平均的に保たれているのであり、各瞬間をみれば、プロトンの位置は確定しておらず、つねに変化している。この状況は、水素原子に関して氷は通常の意味の結晶ではないことを意味し、プロトン配置の無秩序性とよばれる。プロトンが無秩序配置しているために、氷は約100という大きな誘電率をもっているし、底面滑りも進行することができる。また、プロトン配置に関連しての2種類の結晶欠陥、すなわちイオン欠陥(H3O+欠陥とOH-欠陥)と配向欠陥(D欠陥とL欠陥)の存在によって、氷が直流伝導性をもつことや、プロトン半導体となることや、あるいは氷のなかでも物質が拡散することが説明されている。
[前野紀一]
多結晶氷・粘弾性・破壊強度・摩擦係数・表面
私たちの目に触れる通常の氷は、多数の単結晶氷からなる多結晶氷である。単結晶氷は1本のc軸で特徴づけられる。家庭の冷凍庫で氷をつくる場合でも、ゆっくりつくるならば、大きさ1ミリメートルから1センチメートルの単結晶が容易にできる。専門家が水を緩慢凍結させてつくった市販の氷の場合、5センチメートル以上の大きな単結晶ができていることも珍しくない。通常の多結晶氷は、c軸が勝手な方向に並んだたくさんの単結晶の集まりであるから、一般に構造や性質に異方性はない。
氷の特徴的な性質として、粘弾性について説明する。氷は硬く、落とすと壊れるが、一方で、氷河は文字通り河のように流れる。これが粘弾性である。すなわち、落下や衝突のように、急激な力が加わるとき、氷は硬い弾性体としてふるまい、一方、高山の氷河に作用する重力のような緩慢な力が作用するとき、氷は流体のようにふるまう。このように弾性と粘性を兼ね備えた性質が粘弾性で、氷は典型的な粘弾性体の一つである。粘弾性のため、氷の破壊強度は、力学的変形のひずみ速度で異なる。小さなひずみ速度の変形では延性破壊、大きなひずみ速度では脆性破壊(ぜいせいはかい)となり、破壊強度の値はひずみ速度とともに増える。たとえば、零下10℃における多結晶氷の破壊強度は、ひずみ速度10-8 s-1では約0.3MPa、10-6 s-1では約2MPa、10-4s-1では約8MPaとなり、これ以上のひずみ速度ではほぼ一定値となる(脆性破壊)。
次に、氷の摩擦現象について説明する。氷はたいへん滑りやすく、非常に小さい摩擦係数(およそ0.01)を示すといわれるが、いつもこうなのではない。滑りやすいのは、温度が0℃に近いとか、滑り速度が適当に速い、などの特殊な場合のみである。氷の摩擦は二つの項の和で表される。一つは純粋な摩擦で、もう一つは摩耗である。摩耗は、他の物質が氷の上を滑るとき、氷に傷や破壊や塑性変形を生じるための、いわゆる掘り起こしのエネルギー損失である。摩耗の項は滑るものの形、硬さ、大きさ、などで変わるため、氷の性質として一義的には決まらない。
一方、掘り起こしのない場合の純粋な氷摩擦は、滑り速度と温度でおおよそ決まる。氷の摩擦係数が0.01という小さな値になり、滑りやすいのは、氷の表面に水膜が発生し、それが潤滑材の役割をするためである(水潤滑メカニズム)。温度が比較的高い場合を考えると、滑り速度がおよそ秒速1センチメートル(時速36メートル)以上では、摩擦熱が氷表面の微小な凹凸を融解し水膜を生じ摩擦係数を減少させる。しかし、この場合でも、滑り速度が極端に大きくなると、厚くなった水膜は逆に運動の抵抗となり、氷は滑りにくくなる。一方、滑り速度がおよそ秒速1センチメートル以下の場合や、温度がおよそ零下10℃以下の低温になると、発生する摩擦熱は十分でなく、水膜が生じないため、氷は滑りにくい。しかし、滑る速度がさらに極端に小さくなり、およそ秒速0.01マイクロメートル(時速0.036ミリメートル)という低速度になると、氷表面の微小凹凸部の塑性変形が起こるようになり、この速度領域における氷の摩擦係数は非常に小さくなると考えられている(氷の塑性変形メカニズム)。水潤滑メカニズムによる高速領域と、塑性変形による低速領域に挟まれた中間速度領域では、氷の摩擦は不安定な付着と滑りを繰り返す、いわゆるスティック・スリップ現象を示す。
氷の融解点に近い温度において、氷の表面は、疑似液体層とよばれる、液体に似た性質をもつ層で覆われていると考えられる。氷を扱う通常の温度が氷の融解点の近傍数十℃の範囲であることを考えれば、氷の表面が単純な固相と気相の境界ではないことは容易に予想できる。疑似液体層の存在を示す実験的な証拠は、19世紀の物理学者M・ファラデーの最初の指摘から今日まで数多く提出されている。これまでに行われた付着力、表面電気伝導、X線回折、偏光解析、プロトン・チャネリング、核磁気共鳴(NMR)などの多数の観測結果により、疑似液体層の存在に疑いはない。しかし、各測定で求められた疑似液体層の厚さと出現温度領域は、測定方法によって異なり、厚さは10オングストロームから1000オングストローム、温度領域は零下3℃以上から零下100℃以上という結果まである。結果に幅があるのは、測定の不一致を示すのではなく、各測定法で検知する疑似液体層の物性の違いを示すと考えるのが妥当であろう。
[前野紀一]
氷の種類
現在、14種類の氷が知られている。地球上の通常の条件では、先に述べた通常の氷しか発生しないが、圧力や温度をかえると、種々の氷が発生する。それらの氷と区別するときは、通常の氷は氷Ⅰhと表記される。添え字のhは六方晶系(hexagonal)の意味である。零下100℃以下に冷やした板の上に水蒸気を凝結すると、氷Ⅰcとよばれる立方晶系(cubic)の氷や、非結晶質のアモルファス氷が発生することが知られている。氷Ⅰcもアモルファス氷も安定相ではないため、発生してもすぐ通常の氷Ⅰhに変化してしまうから、通常目に触れることはない。2000気圧以上の高圧では、多くの異なった結晶系の氷が存在する。現在のところ、氷Ⅱ、氷Ⅲ、氷Ⅳ、氷Ⅴ、氷Ⅵ、氷Ⅶ、氷Ⅷ、氷Ⅸ、氷Ⅹ、氷Ⅻ、の10種類が実験的に確かめられている。また、この他に約零下200℃以下の温度では、酸素原子の配列は通常の氷Ⅰhと同様であるが、水素原子の配列の異なる氷Ⅺの存在が知られている。氷Ⅺはプロトン配置が秩序化した氷である。水分子が電気双極子を形成していることを考えると、条件が整えば氷Ⅺは強誘電性を示すはずである。
通常の条件では、地球上に存在する氷はすべて氷Ⅰhであるが、高圧や低温などの特殊な環境では種々の氷が存在する。彗星(すいせい)は鉱物と氷の混合物であることが知られているが、この氷は通常の氷Ⅰhではなく、アモルファス氷と考えられる。また、木星、土星などの周りには多くの氷衛星が発見されているが、それらを構成する氷は、氷Ⅱ、氷Ⅲなどの高圧氷であると予想される。
[前野紀一]
地球上の氷の量と分布
地球上の氷は、合計でおよそ2.4×1019キログラムと見積もられている。この量は、地球上に存在する水の総量の1.75%に相当し、97.5%の海水についで2番目に多い。この量は、また、地球全体を平均53メートルの厚さの氷でおおうことができる量であり、かりにすべてが融けて0℃の水になったとすると、海水面は現在よりも約64メートル上昇することになる。これらの氷は、氷河・氷床、永久凍土、海氷、河川や湖沼の氷、積雪、大気中の氷、などいろいろな形で存在している。いちばん多いのは氷河・氷床で、地球上の氷の98.95%を占める。その内訳は89.66%が南極氷床、9.8%がグリーンランド氷床である。つまり、地球上の氷の99.4%は南極と北極に偏在している。氷河・氷床の次に多いのは凍土で0.83%、ついで海氷0.14%、積雪0.04%、氷山0.03%、大気中の氷0.01%である。
これらの量は季節的に変動する。たとえば、陸地の雪の量は平均すれば約1.35×1016キログラムで、陸地の約49%を覆っているが、北半球の夏の終わりに最小値(39%)に達し、北半球の冬の終わりに最大値(65%)に達する。もっと長い時間スケールでみると、地球上の氷の量は、地球の気候変動のなかで、何回も増大と減少を繰り返してきた。第四紀更新世の、いわゆる氷期には、北アメリカ大陸と北ヨーロッパ大陸に巨大な氷床が形成され、氷期と氷期の間には、現在のようにそのような巨大氷床の存在しない温暖な間氷期が繰り返された。
地球環境は太陽エネルギーによって維持されているが、太陽エネルギーの供給のされ方は非常に不均一である。赤道近辺に供給されるエネルギーは、両極地方に比べると圧倒的に多い。しかし、この不均一なエネルギー供給のおかげで、地球規模の大気大循環と水循環が生み出され、結果として地球全体の気候が一定に保たれている。この循環の過程のなかで氷は重要な役割を担っている。すなわち、海だけでなく、地球上のいたる所から大気中に供給された水蒸気は、雲を形成し、雨や雪となって地上に降り、湖沼、地下水、河川、積雪、氷河・氷床となって再び海に戻る。この循環のなかで、太陽エネルギーが地球表面に再分配され、地球環境が維持される。氷のほとんどが地球の両極地方に偏在している事実は、もう一つの重要な意味をもっている。氷の太陽放射に対する反射能(アルベド)は非常に大きいため、両極の氷は地球のもっとも重要な冷熱源となっており、その量は、地球全体のエネルギー収支に呼応して増減している。つまり、長い時間スケールでみれば、両極の氷の量は自動調節することによって地球全体のエネルギー収支、すなわち気候を維持している。氷期の出現や消滅、あるいは地球寒冷化や温暖化も、そのような自動調節メカニズムの結果と考えることができる。
[前野紀一]
文化史
日本では古くから天然氷を飲用や冷やし用に使っていた。『日本書紀』(720)には仁徳(にんとく)帝のとき、額田(ぬかだ)の皇子が和泉(いずみ)の闘鶏(つげ)山中で氷窟(ひくつ)を発見し、氷室(ひむろ)をつくり、夏に水や酒を冷やすのに用いたとある。朝儀を定めた書である『内裏式(だいりしき)』(9世紀前期)には、元正会(がんしょうえ)(元日(がんにち)の節会(せちえ))に「氷様(ひのためし)」といい、氷室の氷の厚薄の状態を宮内省から奏上してその年の吉凶を占うとある。また『延喜式(えんぎしき)』(927)には、山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、近江(おうみ)、丹波(たんば)の各国に氷室を設け、4月1日から9月30日までの間、ここから氷を切り出して宮中に供することが定められ、『枕草子(まくらのそうし)』には氷を削って飲む削氷(けずりひ)がみえている。
人造氷が日本でつくられるようになったのは明治中期以降で、それまで冬季以外に氷を得るには、冬にできた天然氷を氷室に保存し、それを輸送したのであり、夏の氷はたいへん貴重なものであった。氷水は、幕末には開港地横浜で売られ、東京では明治初期に赤城(あかぎ)・榛名(はるな)地方の天然氷を運んだものが売られるようになり、大阪では河内、摂津山中の氷を利用したが、ともに高価なものだった。当時の氷水のことはE・S・モースの『日本その日その日』にも記されている。東京では明治初期に北海道五稜郭(ごりょうかく)の氷を運んで売る氷室会社ができ、夏季の食物保存に役だつことを宣伝したが、冷蔵庫の発達までには至らなかった。人造氷は1877年(明治10)に大阪でつくられ始め、1883年には東京に東京製氷株式会社ができ、その後しだいに人造氷の生産が増えた。明治20年代には氷水が大衆的な飲み物となり、明治30年代には生魚の運搬にも使われるようになった。氷を生魚輸送に使うことは画期的なことで、その後漁村の経済、魚の流通に大きな影響を与えた。ついで1903年(明治36)には氷利用の冷蔵庫が出現し、東京・魚河岸(うおがし)で使われるようになった。
一方、氷の実際的利用とは別に、日本では旧暦6月1日のことを「氷の朔日(ついたち)」「氷室の朔日」などとよぶ民俗がある。岐阜、福井、滋賀、大阪、兵庫、鳥取、熊本などでいわれており、正月の餅(もち)を凍み餅(しみもち)などにしてとっておき、この日に食べる。実際に氷を食べる所もある。
[小川直之]
『カウズマン、アイゼンバーク著、関集三・松尾隆祐訳『水の構造と物性』(1975・みすず書房)』▽『渋沢敬三編『明治文化史第12巻 生活』(初版・1955・洋々社/新装版・1979・原書房)』▽『前野紀一著『氷の科学』(1988・北海道大学図書刊行会)』▽『日本雪氷学会編『雪氷辞典』(1990・古今書院)』▽『前野紀一・黒田登志雄著『雪氷の構造と物性』(1994・古今書院)』▽『田口哲也著『氷の文化史』(1994・冷凍食品新聞社)』▽『若浜五郎著『雪と氷の世界』(1995・東海大学出版会)』▽『日本自然保護協会編・監修『雪と氷の自然観察』(2001・平凡社)』